記事「森田草平」 の 検索結果 11 件
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『小林多喜二日記』1926年10月18日 (第31回)小林多喜二日記19261018.mp3 YouTubeはこちら https://youtu.be/z23v8HxEGqU 一度は読み始めたのに途中でやめてしまった ゲーテの「..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その十「私は思ひ違ひをして居た。死ぬ時は、互に手を取ってめそ/\泣き合って、溶けて行くやうな心持に成らなきゃ死ねない。私の爲に泣いて呉れる相手でなきゃ、手は下せない。」 何か言ふだらうと思って待って..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その九夜汽車に飛び乗った二人は、一旦大宮で汽車を降りた。翌朝の汽車で東北へ向う事にして、駅近くに宿を探した。 座布団に座り、朋子は初めて自分の家や夜族について要吉に語るのだった。彼らは今まで、お互いの事を..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その八夏目漱石の小説「それから」の六章には、主人公が新聞に連載している「煤煙」を読んで、自分と煤煙の主人公は全く性質が違うと感じるくだりが書かれている。 「それから」の主人公は独身だが、友人の細君に同情す..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その七要吉は妻を故郷へ返し、翌日久しぶりに金葉會へ顔を出した。帰り道、朋子と一緒になり道々歩きながら話しをすると、なぜか朋子は要吉の家に不幸があった事を知っていたが、要吉は自分の家庭人としての顔を知られたく..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その六第4巻は、要吉の妻と下宿先のおかみさんが、要吉の子供を医者に連れてゆくところから始まる。 具合が悪い赤ん坊の事より、若干メンヘラチックな朋子の事で頭が一杯の要吉ではあったが、翌日子供が危篤に陥ると、..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その五要吉は手紙で朋子を呼び出し、翌日の午前中に連れ立って料理屋に向かい、そこの奥座敷で改めて二人の関係について話し合った。 彼らは観念的で理屈っぽいが、同時に無計画で情動に流されやすい。 要吉は朋..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その四眞鍋朋子のモデルである、平塚らいてうこと平塚明子は、裕福な家庭に二人姉妹の妹として産まれた。日本女子大を卒業した後も、禅寺に通い文学講座に通うなどし、生活の苦労など知らない恵まれたお嬢様だった。 ..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その三朋子が本を返しに、要吉の家まで行く約束をしたが、要吉はそれを逆手に取り、外で待ち合わせて神戸の家に行こうと予定を変えさせた。何の疑いもなく要吉に同行した朋子だったが、要吉は彼女を神戸の家には連れて行か..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 そのニ「煤煙」は、森田草平の経験を描いたものではあるが、結局は小説なので、書かれた事が全て真実とは考えにくい。平塚らいてう側からしてみれば、小説に書かれて世間に発表されるのは不快でも不本意でもあっただろう。..
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煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その一森田草平は、夏目漱石門下の作家、翻訳家であるが、今日あまり読む人もいないだろう。1881年に生まれ、1949年に没している。 高等学校時代に、女性との同棲が発覚して放校された事もあり、恋愛をすると猪..
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