記事「歌舞伎」 の 検索結果 5336 件
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【西条昇の浅草芸能史コレクション】明治中期の常盤座のビラ手元にある、明治中期の浅草公園第六区 常盤座のビラ。 十二階、花屋敷、パノラマ館、撃剱、常盤座など、当時の浅草六区の名物を折り込んだ浅草拳と共に、百姓大隠居の十作 中村嘉十、庄屋正直正右エ門 勝川又..
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【西条昇の上方演芸史コレクション】京都・南座での吉例漫才顔見世大会のプログラム手元にある、昭和30年代の京都・南座での吉例漫才顔見世大会のプログラム。 南座で例年行われている歌舞伎の吉例顔見世興行の漫才版であり、松竹芸能の前身である松竹新演芸の提供によるものだ。 出演は、上..
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【西条昇の浅草歌舞伎史研究】観音裏の宮戸座跡之碑昨日、観音裏の浅草見番で文学座有志による久保田万太郎作品「夜長」「あしかび」を観劇した帰りに、浅草見番の並びにある宮戸座跡之碑の前で。 宮戸座は明治20年に吾妻座として開場。明治29年に宮戸座と改称..
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【西条昇の浅草歌舞伎コレクション】中村座から猿若座に座名を改めていた頃の絵本役割手元にある、明治13年1月と同14年4月の猿若町の猿若座の絵本役割。 この時期、中村座が猿若座と座名を改めていたのだ。 かん三郎座だった時期もある。 明治13年1月は團十郎、宗十郎ら、明治14年..
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【西条昇のアイドル論】歌川国芳「役者気取贔屓びいき」歌川国芳「役者気取贔屓びいき」。 江戸時代も今も、イケメン・アイドルに憧れる女性ファンの心理は変わらないね。
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【西条昇の猿若町歌舞伎コレクション】幕末の錦絵「猿若三座豊饒宴芸穐」手元にある、幕末の芳幾画の錦絵「猿若三座豊饒宴芸穐」。 当時の猿若町の三座に出演中の市川小団次、坂東三津五郎、中村福助、中村芝翫、市村羽左衛門、沢村田之助、尾上梅幸、片岡仁左衛門といった役者たちの..
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【西条昇の浅草ストリップ・コレクション】昭和25年に東劇の歌舞伎と並んで読売新聞に掲載された浅草ロック座の広告昭和25年5月の読売新聞の浅草ロック座の広告。 永井荷風がロック座のために書き下ろした戯曲「渡り鳥いつ帰る」の他、吾妻京子やハニー・ロイらが出演のロック・バーレスク・ショウ「好色タイム」、決死の舞台..
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【西条昇の浅草芸能散歩】浅草・猿若町跡探索②江戸三座かつて旧・猿若町にあった市村座、中村座、守田座の跡を訪ね歩く。 それぞれ解説のプレートが立ち、市村座の跡には石碑も建てられている。
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【西条昇の浅草芸能散歩】浅草・猿若町跡探索①待乳山聖天にお参りした後、かつて江戸三座のあった浅草・猿若町跡を探索。 天保13年(1842)に 幕府は堺町・葺屋町一帯にあった芝居小屋を浅草聖天町に移動させ、聖天町は猿若町と改名。 猿若町は、中..
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【西条昇の浅草芸能コレクション】九代目・團十郎らの錦絵「浅草公園に意浮立かっぽれ節」手元にある、錦絵「浅草公園に意浮立(こころうきたつ)かっぽれ節」。 明治19年(1886年)1月の新富座で演じられた「初霞空住吉(はつがすみそらもすみよし)」を豊原國周が描いたものだ。 初代・豊年..
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【西条昇の浅草芸能コレクション】浅草・猿若町の河原崎座の絵本番付手元にある、浅草・猿若町の河原崎座の弘化4年(1847)の興行の絵本番付。 当時、河原崎座は森田座の控櫓として興行を行っていた。 立作者の河竹新七は、のちの河竹黙阿弥である。
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【西条昇の歌舞伎コレクション】大正13年9月の浪花座での二代目・市川右團次による「法界坊」のチラシ手元にある、大正13年9月の道頓堀・浪花座での二代目・市川右團次(ここでは右團治の表記)による「水中演藝 法界坊」のチラシ。 「法界坊」はケレンの名人と言われた父である初代・右團次から二代目が受け..