記事「武将」 の 検索結果 1090 件
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仁科五郎盛信仁科五郎は武田信玄の五男です。母親は油川殿で、お松(信松院)、お菊(甲斐御前)の同腹の兄です。 11歳の時に信濃の名族、仁科氏の名跡を継いで、仁科盛信を名乗り、仁科郷の森城主になります。 五郎が1..
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北条綱成北条綱成は小田原北条氏二代氏綱の娘婿です。 父親は今川家の武将福島(くしま)正成で、父親が戦死した後、北条氏綱を頼って小田原に来ます。なぜ、今川家を離れて、北条家を頼ったのかはわかりません。もしかし..
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真田源太左衛門尉信綱源太左衛門尉信綱は真田一徳斎幸隆の長男です。 天文6年(1537年)、信濃の国真田郷に生まれます。 信綱が5歳の時、真田一族は甲斐の武田信虎らに攻められて故郷を追われ、上野の国の箕輪城主、長野業政..
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北条氏政小田原北条氏四代目の当主が氏政です。父親は北条氏康、母親は今川氏親の娘です。 氏政は次男でしたが、兄の新九郎が二十歳前後で亡くなってしまったために跡継ぎになりました。 17歳の時、北条家と武田家が..
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内藤修理亮昌豊内藤修理亮昌豊は甲斐の武田家の重臣です。 父親の工藤下総守虎豊は武田信虎の重臣でしたが、信虎の勘気に触れて殺されてしまいます。昌豊は兄と一緒に甲斐の国を去って旅に出ます。 信玄が父の信虎を追放して..
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上泉伊勢守と箕輪城永禄9年(1566年)の9月、武田信玄に攻められて、上野の国の箕輪城は落城します。その時、上泉伊勢守が箕輪方の武将として活躍したと言い伝えられています。数々の資料に目を通し、小説も読んで、私もそう信じ..
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海野長門守幸光海野長門守は上野の国(群馬県)、吾妻郡の長野原城主で、岩櫃城の斎藤越前守の重臣です。隣村の羽尾城主、羽尾道雲は兄で、新当流の武芸者としても有名な海野能登守は弟です。 海野三兄弟は信濃の海野氏の支流で..
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長野業政信濃守がいる限り、上野の国(群馬県)を攻め取る事は不可能だと武田信玄を恐れさせた武将が、箕輪城主の長野信濃守業政(なりまさ)です。 業政は関東管領の上杉氏に従って、西上野の旗頭として活躍していました..
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北条氏綱小田原北条氏の二代目を継いだ氏綱は通称は父親と同じ、新九郎です。生まれたのは文明18年(1486年)で、この時、父親の伊勢早雲は京都にいて幕府に仕えていました。一旦は幕府を辞めて、駿河の国に住み着いて..
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武士の名前について現代の名前は姓と実名だけですが、武士の名は姓、苗字、実名、通称、幼名、号などがあって、出家して法名を名乗る人もいました。 たとえば、愛洲移香斎は愛洲が苗字で移香斎は号です。姓は源氏で、実名は久忠、通..
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長尾伊玄長尾伊玄は入道する前は長尾四郎右衛門尉景春といって、管領上杉氏の家宰を勤める長尾景信の長男に生まれます。越後の長尾氏出身の上杉謙信とは同族です。 景春が31歳の時、上杉軍の中心になって活躍していた父..
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三浦道寸道寸は相模守護の扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の生まれですが、7歳の時に守護代の三浦高時の養子になります。15歳の時に元服して、三浦新介義同(よしあつ)を名乗ります。 三浦家の跡継ぎとして、戦でも活躍し..