記事「歴史」 の 検索結果 41427 件
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足利市小俣町:熊野神社過日,熊野神社(栃木県足利市小俣町)を参拝した。祭神は,伊弉諾命・速玉之男命・事解之男神。鳥居の額と社号標には「熊埜神社」と記されている。 熊野神社は,大永6年(1526年)に紀州熊野から熊野権現を..
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足利市小俣町:山神社と庚申塔群過日,自社めぐりのために両毛鉄道小俣駅から徒歩で移動中,山神社(栃木県足利市小俣町)の前を通った。参拝した。 山神社の脇には,多数の庚申塔等が並べられた場所がある。合掌した上で拝見した。 仄聞する..
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【中宮寺】天寿国繍帳と聖徳太子像【国宝】こちらは前回記事を書いた「最澄と天台の国宝展」のついでに寄った。残念ながらすでに展示は終了している。 法隆寺宝物館に入るのは2回目である。建物自体のデザインもなかなかのものだ。 「天寿国繍帳..
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牧野富太郎博士が命名したハキダメギクどこかの勝手口で見つけたこの花を高名な牧野博士はハキダメギクと命名したそうな。 花径が4~5ミリと小さく可愛いですがれっきとしたキク科の花です。 ゴミ捨て場で咲いているような悪い名前にこの子は怒っ..
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NHKの毒デンパ少し前の話になりますが、先月NHKはこんな番組を放送しました。 『NHKスペシャル 「円安に物価高 どうなる日本 〜専門家たちの集合知で迫る〜」』 自称「公共放送」のNH..
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地動説列伝(8)ティコ・ブラーエティコ・ブラーエ(1546-1601) は、コペルニクスの地動説を支持しなかったので、近代天文学の発展においては脇役扱いされている感があります。しかし、実は非常に大きな功績を残しています。それは、ど..
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地動説列伝(7)ヨハネス・ケプラー天文学者として初めてコペルニクスの説を公然と支持したのはヨハネス・ケプラーでした。 ケプラーは、貧しい家に早産児として生まれ、幼い時の病気の後遺症で視力を悪くしました。そして虚弱な体質に生涯..
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地動説列伝(6)ジョルダーノ・ブルーノコペルニクスが1543年に『天球の回転について』を出版してから、「地動説」という考え方は自然科学者の間で徐々に知られるようになっていきました。もちろん、支持する人はまだまだ少なく、懐疑的な受け止め方..
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お知らせ読者の皆様、「地動説列伝」は、コペルニクスの後、次の面々について取り上げていこうと思っておりました。 ティコ・ブラーエ(1546-1601) ケプラー(1571-1630) ジョルダーノ・..
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地動説列伝(5)コペルニクス的転換(下)ポーランドに生まれたニコラウス・コペルニクス(1473-1543)は幼少期に両親を失い、母方の叔父に育てられました。司教である叔父はコペルニクスが聖職者になることを望み、クラクフ大学に入学させました..
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地動説列伝(4)コペルニクス的転換(上)これまで不動のものとして信じられてきた価値観などが根底から覆されることを「コペルニクス的転換」と言います。 これは、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473-1543)がこれまで揺..
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地動説列伝(3)天動説の隆盛天動説はアリストテレス(紀元前190年 - 紀元前120頃)も採用していました。アリストテレスは、古代ギリシャ時代の学者として、その権威は絶大なものがありました。その著書が扱っているのは哲学だけでな..