記事「歴史」 の 検索結果 41397 件
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麻田藩主が住職になったお寺 三田・方広寺麻田藩二代藩主の青木重兼は年老いて家督を譲ってから、所領であった三田に大覚山方広寺を建立し、自ら二代目の住職となり77歳の天寿を全うします。 今日はこの大覚山方広寺に行ってきました。豊中からは距..
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お寺の住職になった麻田藩二代藩主!?麻田藩の二代藩主は青木重兼(あおきしげかね)といいます。 重兼は、子どものいない初代藩主青木一重のところに、一重の弟で麻田支藩の代官であった青木可直の長男が、養子になり家督を継いだ方です。重兼は麻田..
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江戸時代の豊中における領主たち江戸時代における豊中の領主は麻田藩の青木氏だけではありません。 むしろ麻田藩は豊中のほんの一部であり、豊中市エリアは幕府直轄の天領が大半を占め、複数の大名によって細かくその所領が分けられていたのです..
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豊中に麻田藩の名残は残っているか!?今回は豊中に「麻田」の匂いが残っているか周辺を訪ね歩いてみました。 麻田藩は明治維新後、麻田県となりその後大阪府と兵庫県に編入されました。 その後町村制施行が行われましたが麻田村として名前は残..
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二代藩主になれなかった青木正重麻田藩初代藩主青木一重には子どもがおりませんでしたので、妹の息子を養子にし名前を青木正重としました。 正重は病弱ですぐに廃嫡されたという記述もありますが実はそうではないようです。 秀吉の四国征..
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麻田藩主 青木家の家紋青木家の家紋は表紋が「富士に霞」、裏紋として「三つ盛洲浜紋」が使われています。 大阪の陣の頃の青木家の旗印は「噴火する富士」が使われています。 大阪夏の陣図屏風にも青木家が参戦して..
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豊中を領地とした戦国大名 麻田藩主 青木氏豊中市というまちは大阪市のベッドタウンです。古くは千里ニュータウンという日本最初の大規模開発されたまちで多くの方に知られることとなりましたが、そのまちの歴史というと「マチカネワニ」という約40万年前の..
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麻田藩の惣社 池田 亀の森住吉神社歴史は古いそうですが荒木村重の乱の際に焼失してしまったものを、麻田藩青木氏が再建したと言われています。 江戸時代には麻田藩の惣社となっていて、藩主の命により五穀豊穣・雨乞などの神事が執り行われていた..
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麻田藩主邸 表玄関 報恩寺麻田藩主邸の表玄関が移築されている報恩寺にまた出掛けてきました。 豊中 麻田藩主邸 表玄関(報恩寺) posted by (C)FLAT4 上は前回訪れたときの写真ですが、もっとアップで柱..
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麻田藩陣屋跡 平尾役場 代官所屋敷跡箕面市に麻田藩ゆかりの陣屋跡があるということで訪ねてみました。 場所は箕面市箕面2-6。住宅地の細い路地を上っていくと宝持山の中腹に屋敷山稲荷が現在はあります。 屋敷山稲荷 posted ..
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麻田藩主菩提寺 佛日寺(仏日禅寺)麻田藩歴代藩主の菩提寺である佛日寺に行きました。 池田 佛日寺 旧麻田藩主菩提寺 posted by (C)FLAT4 場所は豊中市ではなく池田市の畑という五月山から近い山の麓にあります。 もと..
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麻田藩 陣屋門 その2麻田藩陣屋門はさらに市内2カ所に移築されています。 一つ目は蛍池中町の小谷邸です。 麻田藩 陣屋門 posted by (C)FLAT4 瓦に藩主青木氏の家紋である「洲浜」が入っているこ..