記事「歴史」 の 検索結果 41397 件
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京都散策・・・京都に残る藤原定家の墓や時雨亭伝承の地京都は歴史の謎に満ちている。著名な人になればその人にまつわるいろいろな伝承が各地に残される。少ない資料を手掛かりに、それを考証するために色々な説が生まれてくる。しかし、時間をさかのぼりその場に行けない..
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京都紹介・・・京都駅近くの新選組ゆかりの地幕末に活躍した新選組は根強いフアン層を持っている。彼らのゆかりの地を巡り、壬生寺や屯所跡の前川家、八木家へ訪れる人は平日でも数多い。そちらはまず見てみるべきだが、京都でそのゆかりの地を巡るなら、その後..
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京都紹介・・・崇道神社 八瀬散策の歴史スポット今日の紹介は八瀬方面の崇道神社である。 三宅八幡宮への参道を過ぎ、八瀬方面へ少し鯖街道を進んだ左手に蓮華寺と並んで崇道神社がある。 権力があるところに政変は付き物だが、京都のように1200年の..
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京都紹介・・・崇道神社 崇道神社本殿怨霊と聞けば、昼なお暗いこの神社の参道と本殿は、何か物の怪の棲家のようにも思われるが、無念の中になくなって怨霊を御霊に祀った方とはいえ、不思議に神となった方の品格が、この神社全体にに宿っているよう..
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京都紹介・・・崇道神社 合祀された氏神 伊多太神社崇道神社に洛北唯一の古い神社である伊多太神社が合祀されている。 この神社は湧水の神として、農業の神であり、この地域の氏神である。 この神社の湯立の神事は出雲系同様の神事といい、巫女は宮中に奉仕..
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京都紹介・・・崇道神社 合祀された小野神社小野神社は崇道神社の川向の森に祠として明治時代まで祀られていたそうである。 この地域に住まう小野一族の先祖神として、遣隋使だったとされる小野妹子の子である小野毛人を祀っているという。 崇道神社..
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京都紹介・・・崇道神社 小野毛人の墓崇道神社の本殿横の山道を、150mほど登ったところに小野毛人の墓がある。 この石碑自体は村人により大正4年に建立されたものらしい。 1613年にここの石室から、短冊形の銅の墓誌が発見されて、ま..
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京都紹介・・・崇道神社 小野毛人の墓よりの展望崇道神社の山腹にある、小野毛人のお墓から上高野の住居が見渡せる。 川向の左小道伝いの森の中に下鴨神社の境外摂社の御陰神社がある。 ここは葵祭の御陰祭の行われるところで、この地は賀茂氏の神にもゆ..
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京都紹介・・・玄武神社と惟喬親王 玄武神社のご祭神今日は玄武神社とご祭神の惟喬親王をご紹介する。 玄武神社は大徳寺の近く、平安京建設の玄武の地である船岡山の東にある。 小さい神社ではあるが平安京の玄武を守る神社であり、悲運の皇子「惟喬親王」を..
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京都紹介・・・玄武神社と惟喬親王 玄武神社とやすらい祭春の頃になると悪い病気が流行して、多くの人が苦しんだ。 ちょうど花が咲く頃に疫病はやってくる。 それを鎮めるお祭りが「花しずめ」のお祭りになる。 701年の大宝神祇令でこれを恒例祭と定め、延..
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京都紹介・・・玄武神社と惟喬親王 玄武神社と若宮神社玄武神社の西隣が今宮神社のお旅所となっている。 その西に大宮通に面して若宮神社が東向きに鳥居を構えている。 玄武神社は880年ごろに雲林院村に居住した星野市正紀茂光が悲運の皇子「惟喬親王」を祀..
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京都紹介・・・玄武神社と惟喬親王 雲が畑と高雲寺惟高親王は文徳天皇の第一子として信望もあり皇太子となる期待も高い人だったが、母親が身分の低い紀名虎の娘だった。 当時は母親の出自が大きな政治のため、第四子の惟仁親王が生まれて9ヶ月で立太子を実現..