記事「歴史」 の 検索結果 41397 件
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古代秦氏の指紋・・・太秦 蚕ノ社 「木嶋坐天照御魂神社」このしまにますあまてるみたまじんじゃ平安京以前の歴史はもう神話の世界である。 何が真実なのかはその世界の神々の指紋をたどるしかない。 ただ、ここにも口伝や地名、史跡の造形の中に、そこに存在した歴史の足がかりが残されている。 帰..
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古代秦氏の指紋・・・太秦 蚕ノ社 本殿 通称木嶋神社この社殿と東隣の東本殿、拝殿ともに明治以降に建てられた建物で、秦氏の祀った社の古の姿は想像するしかない。 ただ、平安時代から祈雨の神社として信仰厚く、多くの人が参詣していたという。 平安京に住..
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古代秦氏の指紋・・・太秦 蚕ノ社 東本殿「蚕養神社」本殿の東隣の東本殿「蚕養神社」である。 この木嶋神社を別に通称「蚕ノ社」ともいうのは、この蚕養神社にちなんでいる。 秦氏率いる技術集団は製陶、養蚕、機織等すぐれた技術を持っていた。 この神社..
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古代秦氏の指紋・・・太秦 蚕ノ社 石製の三鳥居京都三鳥居の一つの石製三鳥居である。 元糺の池は清水が枯れて今はないが、この鳥居は水の中にある鳥居だった。 真ん中に神座が石組みで作られている。 3本柱を建てて3角形の鳥居としている神明型の..
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古代秦氏の指紋・・・太秦 蚕ノ社 石碑と石の方位盤「かいこのやしろ」の石碑と方位盤。 何故この社には方位盤が置かれているのだろう? 天皇が暦を作る神であったと同じように、秦氏の神も暦をつくる装置を持っていたのではないだろうか? 全ては歴史の..
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古代秦氏の指紋・・・太秦 大酒神社太秦は秦氏の活躍した場所なので、ここには他にもいろいろな足跡がある。 広隆寺は聖徳太子を祀るお寺だが、秦河勝のゆかりとなる。 広隆寺の隣には、あまり目立たないが「大酒神社」が建っている。 蚕..
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平安京の玄武の地・・・船岡山 頂上から平安京の京都を望む船岡山の三等三角点は、111.89m、明治36年に測量されている。 同じこの頂上に794年の平安京が出来るまでに桓武天皇に命じられ、千年の都を設計する人たちがいた。 藤原小黒麻呂や風水師も同じ..
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平安京の玄武の地・・・船岡山 建勲神社船岡山は多くの歴史を刻んでいる。 一つには平安京への遷都での早良親王との政治がある。怨霊の元祖がそこにある。 二つには応仁の乱で山名宗全がこの山に陣を敷き、細川勝元率いる東に位置した軍勢と、壮..
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京都紹介・・・紫式部と紫野 紫式部の墓京都の北区、大徳寺の東南、北大路堀川を南に50mほど行った西側に人知れず紫式部の墓所がある。 ここには紫式部と時代が違う、小野篁の墓が隣に祀られている。 平安京の北には七野があり、その一つが紫..
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京都紹介・・・紫式部と紫野 コムラサキシキブムラサキシキブと言うとこの植物を連想する。 紫式部の名前から、ここのお墓にも植えてある。宇治の源氏物語ミュージアムにも紫式部がアプローチで迎えてくれるあしらいがある。 この時期、美しい紫色の小..
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京都紹介・・・紫式部と引接寺 千本ゑんま堂(引接寺)お盆のお生霊さん迎えは小野篁が活躍する。六道珍皇寺と千本ゑんま堂の二つが京都の人々がお生霊さんをお迎えに行くお寺だが、どちらにも閻魔様と小野篁郷が基盤にある。 千本ゑんま堂は小野篁(802~85..
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京都紹介・・・紫式部と引接寺 紫式部供養塔小野篁による紫式部の地獄からの救済と供養の歴史の碑? 平安末期以降の人たちは源氏物語と言う傑作を書き表した紫式部が地獄の苦しみから助かるとともに、皆もこの物語を楽しみたいと切に小野篁に紫式部や自..