記事「江戸城」 の 検索結果 228 件
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百人番所江戸城の大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、大手三 の門を守衛し本丸御殿最大の検問所であった長さ50mを超える百人番所。 同心が常時百人詰めていたので百人番所と呼ばれるようになった..
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大番所番所とは警備の詰所のことで、大番所は大手中之門の内側に設けられ、他 の番所よりも位の高い与力・同心により警備されていたといわれています。 本丸への最後の番所であり、警備上の役割はきわめて重要だった..
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松の大廊下跡元禄14年(1701年)3月14日、ここで浅野内匠頭が吉良上野介に 斬りかかり、あの有名な忠臣蔵の物語が始まって行きました。現在は、 皇居東御苑内に碑がたてられています。
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大奥跡江戸城本丸は表、中奥、大奥の3つの部分からなっていて、 大奥は将軍の正室が住み、約3000人もの女官が生活していました。 皇居東御苑天守台近くに、その跡が残されています。
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平川門江戸城の当時の高麗門、渡櫓門、木橋がそのまま残っている門。江戸城 の裏門で、大奥への出入り口、御三卿の登城口であったとのこと。また、 不浄門とも云われ、罪人や死体などが運び出された門とのことです。..
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不浄門(江戸城)不浄門は、江戸時代、大名・旗本などの屋敷の練り塀に設けられた、戸板一 枚程のくぐり門で、糞尿汲み取り人や死者・罪人などを出入りさせる門のこと。 江戸城では、平川門が不浄門とされ、平川門脇に小さな門..
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太田道灌公追慕之碑江戸城は、扇谷上杉氏の家臣であった太田道灌により長禄元年(1457年) に築城されました。この石碑は、江戸城築城者の太田道灌を偲び、太田道灌 の没後450年にあたる昭和11年(1936年)に建立さ..
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平川橋皇居北側の内濠に架かり、千代田区一ツ橋一丁目から東御苑に渡る木橋。 初代の平川橋が架けられたのは慶長19年(1614年)のことだそうで、櫓門 と高麗門、この平川橋を含めた一式が平川門と呼ばれていま..
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桜田門江戸城の内堀にある門の一つで、国の重要文化財に指定されています。 安政7年(1860年)3月3日の雪の日、この門の近くで、大老井伊直弼が 水戸浪士に襲撃され暗殺された事件(桜田門外の変)の現場とし..
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日比谷見付跡見附というのは、おもに城の外郭に設けられた城門のことで、日比谷見附跡は 江戸城を囲む「江戸城36見附」のひとつで、日比谷御門があったところです。 日比谷公園の北東側角(有楽門)から入ったところに、..
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数寄屋橋碑数寄屋橋は、寛永6年(1629年)江戸城外濠に架けられた橋で、昭和4年(1929年)に石造りの二連アーチ橋に架け替えられました。その後、取り壊されて現存はしていませんが、地名が残されています。
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虎ノ門記念碑東京都港区虎ノ門の虎ノ門交差点の北東角に、虎ノ門記念碑があります。 「虎ノ門」とは江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点附近)にあった門の名前で、 明治6年に門が撤去された後も、近隣地域の地名として使わ..