記事「物語」 の 検索結果 3138 件
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京都紹介・・・牛若伝説(それぞれの牛若丸像へのいざない2) 牛若誕生産湯井遺跡碑京都の人は判官びいきの人が多かったようだ。 また、明治44年に牛若丸の唱歌が出来て、余計に牛若丸へのそれぞれの思いが強くなったのではなかろうか? 紫竹牛若町の地名が残る地域に遺跡碑が三つある。..
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京都紹介・・・牛若伝説(それぞれの牛若丸像へのいざない2) 牛若誕生井の碑同じ紫竹牛若町の上野家の畑の中に写真の碑が立っている。 上野家はこの地域の旧家で、このお宅には古い資料が多く残されている事で、研究に来られる方も多いとお聞きした。 上野家ではここが牛若丸が誕生..
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京都紹介・・・牛若伝説(それぞれの牛若丸像へのいざない2) 牛若丸胞衣塚同じ上野家の畑の先ほどの石碑の右隣の少し奥に、立派な松が立つ。 石囲いされ、盛り土されたその上に小さな石碑が置かれている。 牛若丸の胞衣をここに埋めたと伝わる石碑である。
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京都紹介・・・牛若伝説(それぞれの牛若丸像へのいざない2) 上野街道の光念寺胞衣塚近く、紫竹上野町に光念寺がある。 ここには常磐御前の守り本尊と伝えられた仏像がある。 地元の人に信仰される仏像だが、義経伝説を継承する人々はそれぞれどのように義経像を描き、どのような思い..
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京都紹介・・・牛若伝説(それぞれの牛若丸像へのいざない2) 常徳寺北山通りの上野街道から東に行くと北側の常徳寺バス停前に常徳寺がある。 ここは紫竹東栗栖町となっている。 ここの本堂内の地蔵尊は牛若丸を身ごもった常磐御前が安産を祈願して安置したと伝えられている..
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京都紹介・・・牛若伝説(それぞれの牛若丸像へのいざない2) 常槃井北区の紫野小学校の近く、船岡山へ至る道路の傍ら、紫野下築山町に常槃井と彫られた石碑がある。 この井戸は牛若丸の母、常磐御前が飲み水に使ったとも、化粧に使ったとも伝承されている。 平治の乱で義朝..
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京都紹介・・・牛若伝説(それぞれの牛若丸像へのいざない2) 若狭川(有栖川)護浄の橋平安時代には船山のふもとにある尺八の池から清らかな有栖川(若狭川)が賀茂斎院のほとりに流れていたそうだ。 有栖川の名は嵯峨にもあり、どちらも斎王の禊に因み付けられたようだ。 牛若丸の時代にもこ..
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京都紹介・・・牛若伝説(それぞれの牛若丸像へのいざない2) 弁慶の腰掛石常槃井の直ぐ近く、北大路通りの大徳寺前の通りを南へ2筋下がって西に入った所にある「長谷川米穀店」お庭に弁慶の腰掛石と伝わる石がある。 お家の方にお願いして、見学するしかないが、この石があることで..
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それぞれの牛若丸との出会いへの誘い(1)・・・鞍馬山 仁王門鞍馬山の鞍馬寺は叡山電鉄出町柳から鞍馬行きの終点で降り、まずこの仁王門をくぐって俗界から浄城へ入り、お参りする。 平安京では船岡山が風水の四神相応の玄武の丘であったが、今の京都の玄武の気はこの鞍..
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それぞれの牛若丸との出会いへの誘い(1)・・・鞍馬山 東光坊跡の義経公供養塔鞍馬の火祭りで知られる由岐神社の隣にある。 ここが後の源義経(牛若丸)が7歳から10年間過ごした鞍馬山東光坊の跡地に昭和15年に建てられた供養塔である。 源義経は31年の生涯の中、前半生は時の..
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それぞれの牛若丸との出会いへの誘い(1)・・・鞍馬山 本殿金堂鞍馬山本殿金堂が中腹にある。ここにはケーブルカーでも来れるが、できれば歩いて九十九折の道を登りたい。 鞍馬山は人が積極的に生きる力を本尊からいただくための道場であり、月輪の千手観世音菩薩、太陽の..
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それぞれの牛若丸との出会いへの誘い(1)・・・鞍馬山 背比べ石鞍馬山に預けられた牛若丸が奥州平泉の藤原秀衡の許へ向かう時名残を惜しんで自らの背を比べたと伝わる石である。 高さは120cmくらいなので牛若丸がこの背丈だったのか?年月で少し埋まっているのか?こ..