記事「田中角栄」 の 検索結果 325 件
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中曽根康弘内閣成立中曽根康弘内閣成立 1982,11,27 もともと「和の政治」をモットーとしてきた鈴木善幸内閣だったが、赤字国債の乱発から経済状態が悪化し、党内からも批判が出始めた。また、この頃から日米経済摩擦..
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ロッキード判決ロッキード判決 1982,6,8 76年に発覚した戦後最大の世界的汚職事件といわれた「ロッキード事件」。アメリカ・航空機製造会社大手のロッキード社が、旅客機の受注をめぐって日本やアメリカ、オラン..
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第2次大平内閣第2次大平内閣 1979,11,6 選挙で敗れた自由民主党は、またぞろ派閥同士の抗争が始まった。 大平正芳・田中角栄の両派が大平続投をめざし、福田赳夫・三木武夫・中曽根康弘の3派は福田赳夫..
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グラマン疑獄米証券取引委員会の報告によりグラマン疑獄発覚 1979,1,4 大平正芳政権発足直後の12月15日。アメリカダグラス社の航空機対日売り込みに関する政府高官らへの不正工作が発覚。またこの日には、や..
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三木・フォード共同声明日本に大きな影響を与えてきたアメリカは、ベトナム戦争の敗北、ウォーターゲート事件など、国内外の威信を落としつつあった。 そうした中で日本の三木武夫内閣は、国内では「クリーン三木」や「対話と協調」..
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政治資金規正法改正政治資金規正法改正案 1975,6,4 金権問題も理由の一つから失脚した田中角栄に代わって首相になった三木武夫だったが、それだけに「政界浄化」の問題に触れないわけにはいかなかった。 政治資..
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三木武夫総裁の誕生田中角栄の辞任に、後継問題で自由民主党は揺れた。佐藤栄作退陣後に総裁を争った三福大に中は当然総裁の座を狙い、特に福田赳夫、大平正芳の両派閥の争いは一歩も引かずすさまじいものがあった。 三福大中の..
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田中角栄金脈問題田中角栄金脈問題 1974,10,22 田中角栄の金脈政治は長い間タブーとなっていたが、度重なる選挙の敗北で、やや遅きに失した感はあるもののマスコミの田中批判も始まった。 72年11月には..
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第10回参議院選挙第10回参議院選挙 1974,7,7 自由民主党劣勢や自らの人気ちょう落が続く中で、田中角栄は財界と一体になった金権選挙で乗り切ろうとしていた。 田中はマスコミの「角タブー」の中で「庶民派..
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田中内閣の小選挙区制法案田中角栄内閣の小選挙区制法案 1973,5,11 自由民主党の田中角栄内閣は、衆議院の定数を511にするとともに、鳩山内閣に続いて再び小選挙区制法案を持ち出してきた。 多党化の日本では、小..
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革新自治体ブーム第33回衆議院総選挙 1972,12,10 第33回衆議院総選挙は、田中角栄内閣の初めての審判となる選挙だった。 投票の結果は、自由民主党が271、日本社会党が118、日本共産党が38、公..
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日中共同声明日中共同声明 1972,9,29 時の保守政府は、サンフランシスコ「講和」条約締結以来、独立国でありながら、一方でアメリカの従属的なポジションともいえる軍事同盟を結んだ。 その路線の一環と..