記事「神奈川」 の 検索結果 11987 件
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本陣旧蹟(平塚宿)平塚宿本陣は建坪163坪、座敷数が20あり、門・玄関・上段の間が取り付けられていて、14代将軍徳川家茂、また、明治天皇も明治元年(1868年)と明治2年(1869年)の東京行幸と東京遷都の際に小休して..
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高札場跡(平塚宿)平塚の旧東海道沿いに平塚宿高札場跡の石碑が建てられています。高札場は幕府や領主の基本的な法令を書いた高札を掲示した場所で、道が交差したところなど、人の往来の多いところに、つくられたそうです。
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江戸見付跡(平塚宿)平塚市見附町の市民センター近くに、平塚宿の江戸見付跡があります。見附は宿場の出入り口のことですが、本来、見附は城下に入る門を示す「城門」のことで、城下に入る人々を監視する役目を持っていました。
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馬入一里塚平塚市の国道1号線(東海道)の、馬入交差点近くにある一里塚の跡。馬入の一里塚は、江戸日本橋から数えて15番目の一里塚で、旧東海道をはさんで南北に一つずつの塚があったとのことです。
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相模川橋脚跡建久9年(1198年)に、源頼朝の重臣稲毛重成が架けた橋の橋脚。頼朝はこの橋の落成式の帰路の落馬が原因で亡くなったとされています。関東大震災の際の揺れとその後の余震によって、水田に出現したそうです。
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御霊神社(茅ヶ崎)建久9年(1198年)、源頼朝が相模川の橋供養に列席した際、義経の怨霊が現れたために頼朝乗馬の馬が驚き暴れ、頼朝は落馬して亡くなったとされてます。御霊神社はこの義経の怨霊を祀ったものと伝わています。
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北条早雲像北条早雲は戦国時代初期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖。一介の素浪人伊勢新九郎が、駿河へ下って身を興し、後に関東を切り取り一代の梟雄北条早雲となったと伝わっていますが、実像には異論もあります。
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土震塚およそ600年の昔、常陸の国から逃れて相模で毒殺された小栗判官は、地獄で閻魔大王の同情をかい、蘇生への道として餓鬼阿弥の姿に変えられ現世に送り返されました。畑の中のサカキの茂みは「土震塚」として、判官..
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和田稲荷和田義盛が夢枕に立った観音様のお告げを受けて建立したと伝わる神社。後に鷹狩をするためにこの地を訪れた源頼朝が、義盛の名に因み「和田」の名を冠し「和田稲荷」と命名、和田町の由来となっているそうです。
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真福寺横浜市保土ケ谷区和田にある高野山真言宗のお寺。治承元年(1177年)、和田義盛の夢枕に不動明王が現れ、そのお告げに従がって堂宇を建立し、不動明王の像を作って祀ったのが始まりとのことです。
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板割浅太郎墓板割浅太郎は国定忠治の子分で、自分の叔父の中島勘助とその息子勘太郎を殺しましたが、赤城山で忠治と別れた後、仏門に入ったとのこと。後に遊行寺の堂守となり、念仏三昧、中島親子の菩提を弔ったそうです。
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中之宮左馬神社横浜市泉区を流れる和泉川沿いに見られるサバ神社の一社。ご祭神は左馬頭源満仲と天照皇大神で、中和泉地域の鎮守となる神社。寛永2年(1625年)に、松平勝左衛門昌吉が、再興したとのことです。