記事「航海士」 の 検索結果 259 件
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 895事故 私たち運航関係者は、海難事故を起こしてはいけないし、誰もが常に心掛けている。それでも網の目をくぐるように、事故に遭遇しないとは限らない。 事故というものは原因がは..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 885またこの日が また7月5日が過ぎていく、何ということもない普通の日が、自分とり大きな転換期になる、忘れられない記念の日でもある。 青函連絡船に再就職した日であり、実質的に函館市民の仲間..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 882苦しいなか目標は高く 全国市町村魅力度ランキングで、何度かナンバーワンの栄誉に輝いた函館市であり、常に1~3位に定着している。 もっとも調査が始まったのは、青函連絡船が..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 880危ない橋 商船三井から青函連絡船へ、移るにあたり何時も書いているが、根本は同じ船なので仕事そのものは、それほど心配していなかったのだろう。 承知の上とはいえ安定の道を自ら..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 878変化? 若い時には柔軟な人当りで知られた人が、定年を終え高齢者と言われる年齢になると、割に意固地でやり難いとか囁かれることがよくある。 長いサラリーマン人生の反動か..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 861人道から ちょっと書こうと考えるところへ、やっとたどり着くが初めてではない。前にふれなかった生々しい部分まで、書き下ろす事にする。 チーフオフィサー(一等航海士)になり、少し仕..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 858能登を思う 能登半島地震から2か月を迎えようとするが、なかなか復旧が進まず、むしろ日増しに爪痕の大きさや、難しさが浮き彫りになっている。 能登半島へ行ったことは無い..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 843グループ 今年も残り少なくなったが、あまり明るいニュースも少ない。株価の指標となる日経平均が、上昇と報道されたが、われわれ庶民には恩恵も無く、むしろ物価の値上がりがこたえる。 ..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 828オーラスの周遊を考える 今年は記録の残るほど、9月の台風が少なかった。何となく気になる9月26日ごろに、珍しく台風を耳にしなくホッとしたところである。 スポーツ界を見れば分..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 823意外な時に この間ふとした話題から友人とやり取りするうちに、相当に年月が経過した若かりし頃を、納得し合い思い起こすことがあった。 退職後によく顔を合わす同級生で、北海..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 803少ない方が覚えやすい ある新聞に宇高連絡船の元船長の記事が掲載され、趣味の世界を通じ宇高連絡船の歴史を、後世に伝える社会貢献や近況..
-
青函連絡船の思い出と我が人生航路 802三等通信士 マイナンバーカードに関わることは、時に耳障りなシグナルも送っているが、残念ながら危惧する針路をとりつつあるようだ。 デジ..
- 前へ
- 次へ