記事「萩本欽一」 の 検索結果 412 件
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ジミー大西<メレンゲの気持ち>整形 IMALUの子守り7月16日2016年7月16日放送のメレンゲの気持ちで、ジミー大西52歳が画家としてバルセロナでの暮らし、絵の値段と儲け、整形していたこと、師匠 明石家さんまとの関係、IMALUの子守り、台所がアトリエのわけな..
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はしのえみ、待望の第1子妊娠!1 名前:湛然 ★@\(^o^)/[sage] 投稿日:2015/05/17(日) 05:07:15.22 ID:???*.net 女優、はしのえみ(41)が第1子を妊娠し、現在5カ月で10月上旬に出..
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【西条昇の浅草演芸史コレクション】昭和42年頃のコント55号が出演の浅草松竹演芸場プログラム手元にある、コント55号(萩本欽一、坂上二郎)が出演の昭和42年(1967)頃の浅草松竹演芸場の7月公演プログラム。 コント55号は〝コント 5・5・号〟の表記で、〈世の若者海でも山でもゴーゴー踊り..
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【西条昇の浅草 軽演劇史コレクション】昭和35年の浅草・東洋劇場のプログラム手元にある、昭和35年1月の浅草・東洋劇場のパンフ。 東洋劇場は、現在の浅草演芸ホールの場所に前年12月に開場していた。 この公演では、シミキンこと清水金一とキドシンこと木戸新太郎が出演。
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【西条昇の浅草エンタメ日記】東洋館での「フランス座を語る会」から丁度1年が③丁度、今から1年前の3月18日は、僕の企画・構成・司会による「ストリップ誕生&東洋興業70周年記念企画 裸と笑いの殿堂・フランス座を語る会」が東洋館(フランス座演芸場)で開催された日でした。 三波伸..
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【西条昇のこれまでの仕事シリーズ】「東京人」98年8月号の特集「浅草は、笑いの王国だ。」企画・構成を担当「東京人」1998年8月号では特集「浅草は、笑いの王国だ。」の企画・構成を担当。 「喜劇王たちの楽天地」執筆のほか、萩本欽一、丘さと志、浅草陣太、海野かつをへのインタビュー、小沢昭一と清川虹子の対談..
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【西条昇の喜劇&ストリップ研究】滝大作さんのお宅で今日は、「お笑いオンステージ」の演出や「コメディーお江戸でござる」の脚本などを手掛けられた滝大作さんのお宅へ。 まだ高校生時代から新宿セントラル劇場に通われていたという滝さんに、持参した当時のパンフ..
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【西条昇メディア掲載情報】産経新聞のアメリカの喜劇俳優ジェリー・ルイスの追悼記事にコメント掲載本日の産経新聞に、亡くなったアメリカの喜劇俳優ジェリー・ルイスさんの芸風と影響を与えた日本のコメディアンについて西条のコメントが掲載されました。 ネットのニュースでも配信されています。 http:..
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【西条昇メディア掲載情報】今日発売の週刊朝日にコメント掲載と資料提供今日16日発売の週刊朝日の「裏昭和史探検」の「フランス座」についての回で、3月に僕が主催した「フランス座を語る会」のことが紹介され、ストリップ70周年とフランス座についての西条のコメントが掲載されてい..
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【西条昇の浅草芸能日記&食べ歩き】浅草芸人御用達の店・喫茶ブロンディのモーニングセット演芸ホール近くの喫茶ブロンディで、モーニングセットを。 〈浅草芸人御用達の店〉と看板にもある通り、ここは萩本欽一さんやビートたけしさんをはじめとする多くの芸人さんが利用してきたことで知られている。 ..
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【西条昇の軽演劇コレクション】新宿セントラル劇場(隆盛期〜後半期)のパンフレット昭和24年に開場した新宿セントラル劇場は、次第に当初の帝都座ショウ的な色合いを薄め、独自のバーレスク色を打ち出していった。 と同時に、パンフレットのほうも、帝都座ショウに近い印象のものから、ストリッ..
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【西条昇の軽演劇コレクション】伊東劇場、浅草松竹演芸場、新開地・寿座でのデン助劇団(大宮敏光一座)のパンフレット&チラシ浅草の軽演劇史上、デン助劇団こと大宮敏光(のちに敏充に改名)一座が果たした役割は非常に大きい。 昭和21年に浅草松竹演芸場に一座を率いて出演以来、昭和48年に解散するまで常打ち劇団として定着。 昭..
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