記事「蔦屋重三郎」 の 検索結果 72 件
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写楽・旧考 10(承前) では、やはり「写楽」は東洲斎写楽という、全く、それまで無名であった新人の絵師だったのでしょうか?何度も触れてきたように蔦屋重三郎は、財産半減という極めて重い処分を受けた後であり、この時期..
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写楽・旧考 9 北斎も対象外(承前) 蔦屋重三郎が寛政6年に東洲斎写楽の浮世絵を発刊した背景について、これまで「財産半減という処分を受けた後なので、蔦屋が浮世絵で大儲けを狙ったのだろう」といった解説が一般的に流布されています..
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写楽・旧考 4(承前) 「浮世絵類考」(うきよえるいこう、大田南畝の『浮世絵考証』を複数の人々が書き継いだ写本)という書物は、松本幸四郎等を題材とした写楽の作品について『あまりに真に描かんとて、あらぬさまにかき..
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写楽・旧考 2 寛政の時代(承前) 曰く「写楽は能役者の斎藤十郎兵衛(さいとう・じゅうろべえ)である」「いやいや、そうじゃない。版元の蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう,1750~1797)こそ写楽に違いない」「それは違う..
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2025年大河の主人公・蔦屋重三郎の店舗前回の記事がとても好評だったので第二弾! 下記は、2025年大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~(横浜流星さん主演)」の主人公・蔦屋重三郎が経営する店舗(書店)を描いた浮世絵です。 ..
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2025年の大河ドラマの主人公は蔦屋重三郎!2025年の大河ドラマは、江戸時代に浮世絵や書籍の版元(板元・出版人)として活躍した蔦屋重三郎を主人公とする「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」に決まったそうで、主演は横浜流星さんだそうです。 ..
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銭湯と山東京伝江戸の市中で、東洲斎写楽という浮世絵師の噂が聞こえてこなくなってから数年、彼の一番の理解者でもあった耕書堂・蔦屋重三郎(1750~1797)がわずか四十八の若さで他界した。脚気が原因の一つだとも伝..
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長崎でコーヒーを飲む大田南畝寛政六年が明けた頃、江戸の町にある屋敷の一角で、版元の蔦屋重三郎から注文のあった、歌舞伎役者の大首絵二十八枚の下絵描きに、東洲斎写楽が呻吟していた、正に、その頃、当時としては、もう「初老」と言って..
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長喜と写楽栄松斎長喜は写楽とほぼ同じ頃に活躍した浮世絵師だが、生没年とも不明だ。『図画百鬼夜行』の妖怪画で有名な鳥山石燕(1712~1788)の門下なので、美人画で知られる喜多川歌麿と同門兄弟弟子になる。上で紹..
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東洲斎写楽の正体は(『初登山手習方帖』にある写楽の凧絵) 写楽別人説の一つで「十返舎一九」を推す人は少なくない。その論拠は一九の生い立ちと深い関わりがある。1765年、駿河国で彼は町奉行配下・同心の子として生まれた。..
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vol.255 ウタマロクリーナー喜多川歌麿・・・江戸時代、中・後期の浮世絵・狂歌師。 寛政3年(1791年)女性美の理想的表現法「美人大首絵」を発表、世人の注目を集めた。代表作に「寛政三美人」「ホッ..
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蔦屋は絵師、葛飾北斎の才能を早くから認めていたようです。 一部には東洲斎写楽の実像を北斎の変名だとする説もあります。 「葛飾北斎と蔦屋重三郎」 http://www.ten-f.com..
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