記事「車両」 の 検索結果 1210 件
-
尾小屋鉄道ホハフ3(Oナロー)の製作<その12>車内の工作と、屋根に手を加えました。 筋を付けたSTウッドを塗装して、プラの床板に貼り付けます。 座席は、くアートポスト紙とプラの角材、丸棒で製作。窓セル貼り付け後に、車体に接着..
-
尾小屋鉄道ホハフ3(Oナロー)の製作<その11>手すりと台車の工作を行いました。 手すりは、φ0.5mmの洋白線と、0.5mm巾の洋白帯板で作りました。 仮止めして様子をみます。洋白線の部分はそのまま地の色を生かし、帯板のブラ..
-
尾小屋鉄道ホハフ3(Oナロー)の製作<その10>前回の内容と重複する部分がありますが、台車の製作手順について紹介します。 真鍮帯材で作ったフレームの、上、中のパーツはんだ付けします。 それを、ベースにはんだ付けします。 ..
-
尾小屋鉄道ホハフ3(Oナロー)の製作<その9>台車を作っています。金属の工作になると、途端にスピードがダウンするのです。11月中に完成、なんて言っていたのですが、この調子だと、今月末の完成も怪しいですね。 こんな感じの、アーチバー台車を..
-
尾小屋鉄道ホハフ3(Oナロー)の製作<その8>前回のキングポストに引き続き、床下の工作を行っています。 t0.2mmのプラペーパーから、こんな形のパーツを80ピース程切り出します。骨が折れました。 台枠外側の、三角形のリブで..
-
西大寺鉄道残存車両・1980年<3>無残な状態のキハ6とは対照的に、キハ7は美しく修復され、バスターミナル入り口に保存されました。 キハ7は、1936(昭和11)年に川崎車輌で、60人乗りのガソリンカーとして製造されました。製..
-
西大寺鉄道残存車両・1980年<2>キハ6は、1936(昭和11)年に日本車輌で、60人乗りのガソリンカーとして製造されました。製造当初搭載していたフォードV8エンジンは、戦後いすゞDA43ディーゼルエンジンに換装されました。 屋..
-
西大寺鉄道残存車両・1980年<1>1980(昭和55)年の春、本州をぐるっと一周する一人旅で、各地のローカル私鉄や軽便鉄道の廃線跡などを見て回りました。その際に、西大寺鉄道の廃線跡にも立ち寄り、遺構や残存車両を少しだけですが、撮影し..
-
西大寺鉄道キハ3、4、5について12月3日の、名取紀之氏のブログ「編集長敬白」にて、広島県の清原正明氏が1975(昭和50)年に撮影された、西大寺鉄道の廃車体群が紹介されており、つい、見入ってしまいました。私もここを訪れたことがあ..
-
尾小屋鉄道ホハフ3(Oナロー)の製作<その7>床下回りの工作が若干進みました。 キングポストをプラ板で作りました。 トラス棒はφ0.6mmの洋白線、ターンバックルはグラントのプラパーツです。 ご覧の通り、端梁、車..
-
尾小屋鉄道ホハフ3(Oナロー)の製作<その6>ドアに沓摺を取り付け、手摺取り付け用の穴を開けた後、車体を塗装しました。屋根は、スエード調スプレーです。 沓摺は、IMONの細密アミ目板を二つ折りにしたものです。 この3連休..
-
尾小屋鉄道ホハフ3(Oナロー)の製作<その5>尾小屋鉄道ホハフ3の台車に関する覚書です。 ホハフ3は、1955(昭和30)年に三重交通のサ321を購入したもので、1970年に車体を更新して、鉄道廃線まで使用されました。当初台車は、図1の..