記事「追悼」 の 検索結果 1488 件
-
悼話§安田猛さん(投手)ペンギン投法と言われ、左腕から繰り出される絶妙なコントロールのスローボールは、あの王貞治ですら手を焼いていたことを鮮やかに思い出す。 いしいひさいちの名作『がんばれ!!タブチくん』にヤスダ投手と..
-
悼話§安野光雅さん(画家)昨年のクリスマス・イヴの日、画家の安野光雅が亡くなった。彼の作品に出会ったのは1970年代の終わり頃だったと記憶している。会社に入って配属されたグラビア雑誌が、彼の作品を使った特集をしたのだ。 ..
-
悼話§ディエゴ・マラドーナさん(サッカー)サッカーの“神”ディエゴ・マラドーナが11月25日に死去した。 上の映像は、11月28日にオーストラリアで行われた、ラグビー三か国対抗戦のニュージーランド対アルゼンチンのキックオフ前、オ..
-
悼話§筒美京平さん(作曲家)グループサウンズ全盛期にヴィレッジ・シンガーズが歌った『バラ色の雲』を皮切りに、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』や南沙織の『17才』などなど、ポップで屈託のない筒美京平の作品群が昭和後半を彩..
-
悼話§日下部将之さん(デモ呼びかけ人)東京給水クルー(TQC)、怒りの可視化などなどで、アグレッシブにデモや集会を呼びかけ主催していた日下部将之が、先月27日に急逝した。 アイデアと実行力で、多くのデモや集会を主催し、SNSの呼びか..
-
悼話§皆川達夫さん(中世音楽研究家)一浪して受験した大学の入学試験の教室に試験官として入ってきたのが、当時まだ四十代後半の皆川達夫だった。端正にダブルのスーツを着こなして、英国紳士という表現そのままという記憶である。 無事大学に合..
-
悼話§志村けんさん(コメディアン)著名人だからといってコロナウイルスの災禍からは逃れることはできない。 荒井注脱退の後を引き継いでドリフターズに参加、様々なギャグを連発して一躍テレビの寵児となったことは鮮やかな記憶として残ってい..
-
悼話§野村克也さん(名野球選手&名監督)自らを“月見草”と称した何回ホークスの名捕手、名打者であり名監督としても名を馳せた野村克也の現役時代だが、我々のような世代でも眼にした記憶はほとんどない。 それはもう、セリーグのあまつさえ巨人偏..
-
悼話§ミレルラ・フレーニさん(オペラ歌手)1981年、ミラノ・スカラ座引越し公演で、カルロス・クライバーが指揮した『ラ・ボエーム』のミミを歌ったのがフレーニを聴いた最初だった。 艶があって瑞々しい歌声で、その時フレーニはまさに歌い盛りの..
-
悼話§宍戸錠さん(映画俳優)“エースのジョー”と呼ばれ、日活アクション映画の看板俳優の一人として大活躍していたことを思い出す。 キャラクター作りのために、含み綿をすれば済むところをわざわざ頬に詰め物を入れる手術を受けたのを..
-
悼話§ハリー・クプファーさん(演出家)旧東ドイツ出身の演出家ハリー・クプファーの舞台はいくつか観ているが、一番に刺激的だった舞台は、1991年に初めて訪れたバイロイト音楽祭で観た『ニーベルングの指環』四部作だった。 ↓バイロイト音楽..
-
悼話§髙橋力さん(ソラミミスト)髙橋力は、タモリ倶楽部名物コーナー“空耳アワー”の常連投稿者だった。一週おきくらいに投稿が採用されていたほどで「また髙橋力」と我々程度の視聴者ですら、彼の名前を覚えていたくらいである。 それが、..