記事「追悼」 の 検索結果 1489 件
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悼話§竹本住大夫さん(文楽義太夫)もとより、文楽を観た回数など両手の指で数えられる程度でしかなく 住大夫が語るのを聴いたのは、たった2回だけである。 最初は10年ちょっと前くらいだったかの国立小劇場で、80歳になった かそれ..
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悼話§ギュンター・ヘーグナーさん(音楽家)往年のウィーンフィル首席ホルン奏者ギュンター・ヘーグナーが亡く なった。 特に演奏が難しいといわれるウィンナ・ホルンの名手として名を馳せ た。カール・ベームが指揮して、彼が独奏ホルンを吹..
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悼話§ヘスス・ロペス=コボスさん(指揮者)1987年に来日したベルリン・ドイツ・オペラが『ニーベルングの指環』 四部作を日本で初舞台上演を行ったが、その時の指揮者がヘスス・ロ ペス=コボスだった。 スペインに生まれ、ウィーンで学んで..
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悼話§礒山雅さん(音楽学者)先月、雪道で転倒し頭を打って入院。そのまま還らぬ人となった。 彼が1994年に上梓した『マタイ受難曲』は、細部まで行き届いた好著 で、大きな助けとなってくれたのである。 昨年夏に亡く..
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悼話§金子兜太さん(俳人)2015年7月、戦争法(安保法制)に反対するスローガンとして、依頼さ れて金子兜太が揮毫したのが、下のこれである。 当時96歳になろうという年齢だったが、骨太な筆致の迫力は、その後 も息..
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悼話§星野仙一さん(投手)投手としても、監督としても、闘争心を表に出す人間だった。それが ゆえに時として“悪しき体育会的なるもの”が表に出てしまうことも あったので、好きな野球人かと聞かれると首を傾げてしまうが、常に 巨..
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悼話§三宅幸夫さん(音楽評論家)シューベルトやワーグナーの研究者として一線で活躍していた三宅幸 夫が亡くなった。名前ばかりではあるが日本ワーグナー協会員の一人 としては教えられることも多々あり、お世話になった。 まだまだ書..
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悼話§クルト・モルさん(オペラ歌手)クルト・モルを初めて聴いたのは1984年のハンブルク国立歌劇場日本 公演『魔笛』のザラストロだった。彼の深々としたバスの歌声を聴き ながら、ザラストロがそこにいると感じた記憶がある。 その後..
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悼話§かまやつひろしさん(ムッシュ)かまやつひろしを最初に見たのは、ザ・スパイダースのメンバーとし て『世界へ飛び出せ<ニュー・エレキ・サウンド>』というテレビ番組 で歌っている姿だった。 曲は『フリフリ』や『バン..
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悼話§S・スクロヴァチェフスキさん(指揮者)スタニスラフ・スクロヴァチェフスキの実演を聴いたのは一度だけ。 1996年2月のN響定期。 前半に演奏されたプロコフィエフのロミオとジュリエット組曲は間に 合わず、後半のストラヴィンスキー『..
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悼話§ディック・ブルーナさん(ミッフィー)ミッフィーは、色遣いも含めてデザイン感覚に優れた絵本だと思い、 ピンクの日本製猫キャラクターなど足元にも及ばないセンスだと感じ ていた。東日本大震災の時に、ディック・ブルーナ涙をこぼしている ミ..
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悼話§岡野俊一郎さん(サッカー)かつての東京12チャンネルで『三菱ダイヤモンドサッカー』という、 海外のサッカー試合を紹介する番組が放送されていた。 アナウンサーは金子勝彦で、解説をしていたのが岡野俊一郎だった。 なかなか..