記事「鎌倉」 の 検索結果 13094 件
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大宝寺鎌倉市大町にある日蓮宗の寺院で、境内は「佐竹屋敷跡」と伝わっています。佐竹氏の遠祖にあたる源義光がこの地に居住し、その後、この地は源頼朝により佐竹秀義へ与えられて、代々佐竹氏の居館となったとのことです..
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三浦義明墓三浦 義明は三浦半島にある衣笠城の城主で、多々良三郎重春はその孫。三浦一族は源頼朝の挙兵に加担して、平家方に攻められて、衣笠城は落城。三浦義明、多々良三郎重春と一族の墓が、鎌倉材木座の来迎寺にあります..
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補陀落寺鎌倉市材木座にある真言宗大覚寺派のお寺で、山号は南向山。創建は養和元年(1181年)で、開山は文覚上人、開基は源頼朝とのこと。たびたび竜巻に襲われているため、別名「竜巻寺」との別名もあるそうです。
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九品寺鎌倉市材木座にある浄土宗のお寺で山号は内裏山。この地は新田義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、幕府滅亡後、北条方の死者の菩提を弔うために、新田義貞が創建したと伝えられています。
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実相寺鎌倉の材木座にある日蓮宗のお寺。文永8年(1271年)に、日蓮の弟子の日昭が一門の教化・統率の拠点として開いた濱土法華堂が始まりとのこと。曽我兄弟の仇討事件で敵とされた工藤祐経の屋敷跡でもあります。 ..
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岩船地蔵堂扇ヶ谷にある大姫の守り本尊であった地蔵を祀ったとされる小さなお堂。大姫は源頼朝の長女で、木曽義仲の嫡男・義高と婚約しましたが、義高が処刑されたことに衝撃を受け心を病み、20歳で早世してしまいました。
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西御門跡源頼朝の館は鶴岡八幡宮の東側にあり、大蔵御所と呼ばれていました。政務もここで行われ、幕府の所在地として大蔵幕府とも呼ばれています。大蔵御所には四方に門があり、西御門の跡に碑が建てられています。 ..
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理智光寺跡かつて此処に、僧の願行上人が開いた五峯山理智光寺あったとのことです。淵辺義博によって殺害された護良親王の首は捨てられましたが、理智光寺の長老により拾い上げられ、葬礼の後、山の上に埋葬されたと伝わってい..
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大塔宮護良親王墓大塔宮護良親王は、建武2年7月23日(1335年8月12日)、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されてしまいました。宮内庁が管理する墓所が鎌倉市二階堂の理智光寺跡にあります。
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希義公の土と石源希義は源頼朝の同母弟で、兄頼朝の伊豆への配流と同時に土佐国に流罪となりました。そして後に、兄頼朝の挙兵により平家の追討軍によって討ち取られました。しかし、平成6年(1994年)に頼朝と希義の墓の土と..
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政子石鎌倉の鶴岡八幡宮境内の源平池の源氏池にあるのが旗上弁財天。その旗上弁財天の裏手にあるのが姫石とも呼ばれている政子石で、古来縁結びの霊能があると云われている石です。
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佛行寺鎌倉市笛田にある日蓮宗のお寺で山号は笛田山。梶原源太景季の死を悼んだ妻の信夫がこの地で自害しましたが、村人が信夫の塚を建て、その下に沸行寺が建立されたと伝わっています。