記事「鎌倉」 の 検索結果 13097 件
-
蓮華寺跡蓮華寺は仁治元年(1240年)に北条経時が建立し、寛元元年(1243年) に、材木座に移し、寺の名前を光明寺と改めたと伝えられています。 北条時頼が、建長3年に経時の菩提のために建てたとの説もあり..
-
佐助文庫跡佐介文庫は金沢文庫と同じ時代にできたと想像され、北条氏の一族である 佐介氏がその家の中に寺と文庫とを建てたようですが、 その作った人、あっ た場所、規模、存続した期間などの詳しいことは分かっていな..
-
笛供養源義経が腰越状を書いた寺として知られている満福寺で行われた笛供養。 源義経は笛の名手であったことから、義経の霊を慰めるために笛供養とし て行われ、義経の愛妾であった静の舞も披露されました。
-
北条得宗家屋敷跡歴代の鎌倉幕府執権の屋敷跡。鎌倉幕府の滅亡後、北条高時慰霊のため、 後醍醐天皇がその屋敷跡に宝戒寺の建立を計画し、実際には足利尊氏が 建立したらしいとのことです。宝戒寺は、「萩の寺」として知られて..
-
大慈寺跡鎌倉市を通る金沢街道の明石橋の近くに、大慈寺跡の碑があります。 大慈寺は、建暦2年(1212年)に、第3代将軍源実朝が建立したお寺 で、勝長寿院の大御堂に対して、新御堂とも呼ばれていたそうです。
-
大江広元邸跡大江広元は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての朝臣。はじめは 朝廷に仕える下級貴族でしたが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉 幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献しました。
-
明石橋の石塔鎌倉市内を流れる滑川に架かる明石橋の近くにある石塔・石仏群。この 付近は、広大な境内を持つ大慈寺があった処とされていて、大慈寺跡に その後、供養塔・石仏が建てられてきたのではないかとのことです。
-
梶原景時邸跡(鎌倉十二所)梶原景時は石橋山の戦いで源頼朝を救ったことから頼朝に重用された 御家人で、教養があり和歌を好み武家百人一首にも選出されていました。 碑もありませんが、明王院の奥が梶原景時邸跡と云われている場所です..
-
五大堂明王院鎌倉市十二所にある真言宗御室派のお寺で、「五大堂」とも呼ばれています。 嘉禎元年(1235年)に、4代将軍である藤原頼経により建立されたお寺で、 将軍により建立されたお寺では、鎌倉市内に現存する唯..
-
足利公方邸跡鎌倉市の金沢街道沿いの道明寺にある足利家代々の館跡。鎌倉幕府 創成期の足利義康が屋敷を構えたのがこの場所で、以後、足利尊氏、 室町時代の鎌倉公方もここを館にしたとのことです。
-
青砥藤綱邸跡青砥藤綱は、鎌倉時代後期の北条時頼、北条時宗に仕えていた武士。 青砥藤綱には、ある夜のこと滑川を渡る時にお金10文を川に落としてしま いましたが、50文で松明を買ってお金を探したと言う逸話が残って..
-
歌の橋鎌倉市の金沢街道が二階堂川に架かる小さな橋で、鎌倉十橋の一つ。 渋川兼守が、和田合戦に関わる謀反の疑いで処刑されそうになったとき、 将軍実朝が、渋川兼守の歌を聞いて罪を赦したことに由来するそうです..