記事「鎌倉」 の 検索結果 13097 件
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五所神社明治41年(1908年)、かつての乱橋村と材木座村が合併した折りに、 元々この周辺にあった、三島社、八雲社、金毘羅社、諏訪社、視女八 坂社、の5つの社が合祀され、五所神社となったそうです。
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実相寺鎌倉の材木座にある日蓮宗のお寺で、文永8年(1271年)に日蓮の弟子 の日昭が、一門の教化・統率の拠点として開いた濱土法華堂が始まりとの こと。曽我兄弟の仇討事件で敵とされた、工藤祐経の屋敷跡でも..
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光明寺鎌倉市材木座にある浄土宗のお寺で、山号は天照山。鶴岡八幡宮から 移築したとされる、弘化4年(1847年)頃建築の大きな山門、また、重要 文化財に指定されている鎌倉地方最大級の本堂などがあります。
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亀ヶ谷坂鎌倉七口の一つで、山之内から扇ヶ谷を結ぶ切通し。巨福呂坂と共に 鎌倉街道中の道の起点とされている道です。急坂のために亀もひっくり 返ったということからの命名とも伝わっています。
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岩船地蔵堂扇ヶ谷にある、大姫の守り本尊であった地蔵を祀ったとされる小さなお堂。 大姫は、源頼朝の長女で、木曽義仲の嫡男・義高と婚約しましたが、義高 が処刑されたことに衝撃を受け心を病み、20歳で早世してしま..
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西御門跡源頼朝の館は鶴岡八幡宮の東側にあり、大倉御所と呼ばれていました。 政務もここで行われ、幕府の所在地として大倉幕府とも呼ばれています。 大倉御所には四方に門があり、西御門の跡に碑が建てられています。..
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理智光寺跡かつて此処に、願行上人が開いた五峯山理智光寺があったとのことです。 淵辺義博に殺害された護良親王の首は捨てられましたが、理智光寺の長 老により拾い上げられ、葬礼の後、山の上に埋葬されたと伝わってい..
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大塔宮護良親王墓大塔宮護良親王は、建武2年7月23日(1335年8月12日)、 足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されてしまいました。 宮内庁が管理する墓所が鎌倉市二階堂の理智光寺跡にあります。
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希義公の土と石源希義は源頼朝の同母弟で、兄頼朝が伊豆へ配流になったと同時に土佐国 に流罪となり、後に、兄頼朝の挙兵により、平家の追討軍に討ち取られました。 平成6年に頼朝と希義の墓の土と石を交換して兄弟の再会が..
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政子石鎌倉の鶴岡八幡宮の源氏池の中にあるのが旗上弁財天。その 旗上弁財天の裏手にあるのが、姫石とも呼ばれている政子石で、 この石は、古来縁結びの霊能があると云われています。
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佛行寺鎌倉市笛田にある日蓮宗のお寺で、山号は笛田山。梶原源太景季の死 を悼んだ景季の妻の信夫がこの地で自害しましたが、村人が信夫の塚を 建て、その下に沸行寺が建立されたと伝わっています。
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御霊神社(梶原)後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景政を祀る、鎌倉市梶原に鎮座する神社。 建久元年(1190年)に、鎌倉氏を祖とする梶原景時が創建したとのことです。 また、坂ノ下の御霊神社は、この御霊神社を移したもの..