記事「鎌倉」 の 検索結果 13097 件
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夷堂橋本覚寺のすぐ近くにある橋で鎌倉十橋の一つ。その昔、この付近に源頼朝が幕府の鬼門除けに創建した「夷三郎社」(夷堂)があったことからの命名だそうで、川の名前も、この付近では夷堂川と呼ばれていたとのことです..
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大巧寺現在は鎌倉の小町にありますが、元々は十二所にあったとのことです。寺名も大行寺だったそうですが、頼朝がこの寺で軍議を開いたところ、大勝したとのことで、寺名を大巧寺と変えたそうです。
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土佐坊昌俊邸跡土佐坊昌俊は、平安時代末期の僧・武将で、堀川夜討で知られています。文治元年(1185年)、土佐坊昌俊は、六条室町邸の源義経を襲撃しましたが、反撃されて捕えられ、六条河原で斬首されたとのことです。
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光触寺鎌倉十二所の金沢街道から小路を少し入ったところにある時宗のお寺。近くを通る金沢街道は、その昔、鎌倉と六浦を結ぶ重要な交通路で、境内には、六浦の塩売りが毎朝塩をお供えしたという塩舐め地像があります。
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宇津宮辻幕府跡源頼朝は鎌倉に幕府を開きましたが、そこは大倉幕府と呼ばれています。嘉禄元年(1225年)に北条政子が亡くなると、幕府は宇津宮辻に移されました。宇都宮稲荷が祀られていてる所に碑があります。
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関取場跡荏柄天神社の修復費用を調達するために、 後北条氏が設けた関所の跡。徒歩は5文、背負人は10文、里人と僧侶は無料だったとのことで、その掟書は現在でも荏柄天神社に所蔵されているそうです。
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犬懸上杉家屋敷跡室町時代の関東管領家の一つが犬懸上杉家。山内、扇谷、宅間、犬懸の4上杉家が交代で管領職に就いていましたが、犬懸上杉家は、上杉禅秀の乱により衰退してしまいました。鎌倉市浄明寺に邸跡の石碑があります。
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勝長寿院跡源頼朝が父である源義朝の菩提を弔うために建立したお寺で、鶴岡八幡宮、永福寺とともに鎌倉の三大寺院の一つでした。現在は、勝長寿院跡の碑、源義朝と鎌田政清の供養塔が残るのみです。
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文覚邸跡文覚上人は、もとは遠藤盛遠といい、北面の武士でした。誤って袈裟御前を殺害したことから出家して文覚と名乗ったとのことです。伊豆に流されていた時に頼朝と運命的な出会いをし、以後、頼朝に大きな影響を与えた人..
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御構廟大塔宮護良親王は建武2年(1335年)、淵辺義博により殺害されましたが、激闘の末に獲った大塔宮の首の形相が凄まじく、恐れを感じた淵辺義博は、その首を近くの藪に捨て、その藪が御構廟として今に残されていま..
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土牢(鎌倉宮)大塔宮護良親王は宮将軍とも呼ばれ、鎌倉幕府倒幕に大きく貢献しました。しかし、足利尊氏と対立し、鎌倉東光寺のこの土牢に幽閉され、9か月間の幽閉後、淵辺義博により、土牢内で殺害されたと伝わっています。
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東御門跡源頼朝の館は鶴岡八幡宮の東側にあり、大倉御所と呼ばれていました。政務もここで行われ、幕府の所在地として大倉幕府とも呼ばれています。大倉御所には四方に門があり、東御門の跡に碑が建てられています。