記事「長野」 の 検索結果 8398 件
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広瀬の渡し永禄4年(1561年)9月10日の早暁、妻女山から下りてくる 上杉謙信軍を待ち受けるべく、武田信玄は八幡原に本営を移しました。 その時、信玄が8千の兵を率いて渡河したのが、この地点と伝わっています..
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勘助宮武田信玄の軍師であった山本勘助が、第4次川中島の戦いで 討ち死にしたあたりといわれ、長野オリンピックスタジアムがある 南長野運動公園の南西の端に石碑が建っています。
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佐久間象山像佐久間 象山は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。 当時の日本において、洋学の第一人者だった象山は、「西洋かぶれ」と 見做され、元治元年(1864年)7月11日、三条木屋町で暗殺さ..
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真田邸長野市松代町にある、松代藩主真田家の屋敷で、現在は長野市の所有。 江戸時代末期に9代藩主真田幸教が当初、義母お貞の方の住居として建築、 やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は、真田家の私宅とな..
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文武学校文武学校は、安政2年(1855年)に創設された信濃国松代藩の藩校。 明治時代初期に廃止されましたが、藩校の建物は昭和期まで学校として 使用され、昭和28年(1953年)に国の史跡に指定されています..
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松代城跡長野県長野市松代町にある城跡で、元々は海津城と呼ばれていました。 第4次川中島の戦いでは、武田信玄がここに陣を置いたことで知られていて、 また後には、江戸時代初期より明治維新まで真田氏の居城となっ..
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八幡原5度に渡る川中島の合戦で、第4次の合戦時(永禄4年・1561年)に武田軍の本陣となった所。上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの伝説にもなっている所で、現在は、八幡原史跡公園として整備されています。
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上杉謙信公鞍掛の松長野市の妻女山の麓に鎮座する会津比売神社の境内にある松の木。 永禄4年(1561年)9月、上杉謙信が川中島合戦の前に妻女山に陣を構え、 会津比売神社に必勝を祈願した時、乗馬の鞍を懸けた松と伝わって..
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謙信公槍尻の清水永禄4年(1561年)川中島合戦の時、妻女山に陣を置いた上杉謙信が、 馬から降りて一心に祈り、立ち上がって空高く槍を構え、地面を槍の石突きで 強く突いたところ、そこから勢いよくきれいな水が湧き出し..
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川中島川中島は、長野県長野市の犀川と千曲川に囲まれた三角地帯の地名。 木曾義仲の旗揚げによって生じた市原合戦、それに続く横田河原の戦い、 また、信玄と謙信の間で争われた川中島の戦いの舞台となったところで..
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妻女山長野市松代町と千曲市土口が境を接する山で、第4次川中島の戦い において、上杉謙信の軍が陣を張ったところとして知られています。 謙信は、この山を下り雨宮の渡しを渡り、八幡原へ向かったとされています。..
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雨宮の渡し跡雨宮の渡しは、古来から重要な軍事上の千曲川の渡河地域で、川中島の 戦いの時、上杉謙信が夜半に妻女山を下り、この渡し場を秘かに越えて 武田信玄の本陣に突撃した、とされていることで知られています。