記事「長野」 の 検索結果 7848 件
-
年末の前に、、、昨日の記事で書きましたが 今年の年末は2年ぶりに旅行に行く計画が ほぼ確定となりました が、その前に1泊2日程度で東北の内陸部 仙台、福島、山形あたりに出没しようかと 考えています ..
-
1泊2日 善光寺&戸隠神社昨日から長野に行ってきました。 7年に1度の善光寺 御開帳 6年に1度の戸隠神社 式年大祭 今年は同じ年に善光寺と戸隠神社のイベントが重るという貴重な年。 昨日5月9日 ..
-
天然記念物の辛夷 五島美術館の庭園五島美術館の庭園には、東京都の天然記念物に指定されている辛夷の木がある。樹齢250年だという。 辛夷という樹木はモクレン科に属するそうだ。そして辛夷という漢字は中国ではモクレンを指すのだという..
-
やせ蛙まけるな一茶これにあり 小布施・岩松院小布施・岩松院には裏庭に小さな池がある。桜の花見時になると、ヒキガエルが集まってきて、メスの奪い合いで合戦になるのだという。 俳人・小林一茶は、文化13年4月20日に小布施に..
-
小布施散策 栗と北斎と福島正則長野県の小布施に行ってみた。戦国大名の福島正則が広島から転封となり、終焉の地となった。49万8千石から4万5千石だ。悲運の名将だった。 北斎も晩年、この町で芸術活動を行った。正則公が眠る..
-
須坂の町を歩く 土蔵の街並から豪商田中本家まで須坂の町は歩いて回ることが十分可能だ。土蔵造りの街並を通っていくと、豪商の田中本家まで、それほど遠くもなかった。 田中本家は、敷地面積三千坪、二十の蔵が取り囲んでいるのだという。邸宅の内..
-
雛人形の須坂長野県の須坂という町に行ってみた。人口5万人の小さな都市であるが、江戸時代は須坂藩の陣屋町だったという。さらに、明治から昭和初期にかけては製糸業で栄えたということで、古い蔵の街並みが残っている..
-
善光寺の回向柱300年にわたり松代町から寄進される回向柱が牛に引かれて善光寺にやってくる。前立本尊の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸から白い布を経て、善の綱のとなって回向柱に結ばれるのだという。..
-
善光寺の仁王門と八重桜善光寺は7年に一度のご開帳。本尊は絶対秘仏なので、その代わりとして前立本尊を本堂に迎え、いわば居開帳と呼ばれる。本堂は、宝永4年(1707年)の再建だが、江戸中期を代表する仏教建築として国宝に指..
-
長野といえば蕎麦だろう長野市でグルメといえば、蕎麦か“おやき”となるらしい。 “おやき”は後で楽しむとして、蕎麦屋に入った。 都市の観光マップにも蕎麦屋のリストが事細かに記されている。稲作が難しい地域..
-
紅く白い実の美しさ昨年、秋、長野の街中で柿の実を見かけた。初めは柿とは思わなかった。紅く、林檎のような趣なのだが、深まる秋の中では、柿なのだろう。表面の毛羽立った白さも格別だ。
-
長野市の地下鉄 レトロ長野市には地下鉄が通っている。長野電鉄という路線で、長野駅から善光寺下駅の区間だけのようだが、そして、設備は古そうだが、走っているのは東急電鉄の車両だ。鉄道マニアには願ってもない光景だろう。 ..