記事「長野」 の 検索結果 7848 件
-
尖石遺跡長野県茅野市豊平にある縄文時代中期の集落遺跡。竪穴式住居跡33か所をはじめ、53か所の炉跡や列石、竪穴群、屋外埋甕などが発掘されていますが、土器に比べ石器の出土が極端に少ないそうです。また「尖石」の名..
-
尖石長野県茅野市豊平にある縄文時代中期の集落遺跡である尖石遺跡の名称の由来となった岩で、古くから村人の信仰の対象となっていたそうです。この石の下には宝物が隠されているとの言い伝えが有り、ある時こっそりと村..
-
田ノ原湿原志賀高原の中にある高層湿原で、長野県の天然記念物に指定されています。太古の昔、志賀山の噴火により流れた溶岩が角間川をせき止めて湖ができ、そこに生えたミズゴケが腐らず、数mの厚さに積み重なってきていると..
-
徳川家大奥供養塔(善光寺)長野市の善光寺境内にある徳川家大奥供養塔。三代将軍家光の夫人本理院、乳母春日局ら、江戸初期の大奥関係者の供養塔とのこと。善光寺如来様は幕府の女性から篤く信仰され、江戸で出開帳が行われた時には、前立御本..
-
聖パウロカトリック教会長野県北佐久郡軽井沢町にあるカトリックの教会。昭和10年(1935年)に英国人のワード神父により設立され、米国建築学会賞を受賞したアントニン・レーモンドが設計を担当、軽井沢の歴史的建造物の一つになって..
-
龍岡城東通用門龍岡城は慶応3年(1867年)、龍岡藩主・松平乗謨によって佐久に築かれ た星形の城郭で、函館の五稜郭と並び、日本に2つしかない五稜郭です。 東通用門が参道にぴんころ地蔵のある成田山薬師寺に移築されてい..
-
伴野城跡長野県佐久市野沢にある鎌倉時代以来の伴野氏の館跡、後の野沢城の本丸にあたる地域で、周囲には堀の名残と思われる水路が巡っています。 水路と共に土塁跡でも囲まれた平地は、現在は城山公園として整備されていま..
-
鏡石武田信玄が重臣の山本勘助と馬場信房に命じて、それまでにあった鍋蓋、 乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせたのが小諸城の原型とのことです。 小諸城本丸跡には山本勘助が築城時に研磨したと伝わる鏡石がありま..
-
小諸城跡(懐古園)小諸城は武田信玄の東信州経営のために縄張りされた城で、酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城、などの別名を持ち、日本100名城の28番に選定されています。現在は、市営公園小諸城祉懐古園として整備されています。
-
憩石慶長5年(1600年)、関ヶ原に向かう途中の徳川秀忠を大将とする徳川本隊は、上田城に籠る真田氏を討伐するため小諸城を本陣としました。その在陣中に、徳川秀忠が床几として使用した石と伝えられています。
-
本陣跡(海野宿)北国街道が開削された寛永2年(1625)当時は、本宿は田中宿で、本陣は 田中宿のみに設けられていたそうです。しかし、寛保2年(1742年)の大洪水で 田中宿が大被害を受け、海野宿に本陣が設けられたとの..
-
海野宿寛永2年(1625年)に、江戸幕府によって設置された、北国街道の宿場。 約650 mにわたり街並みが続き、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の輸送、善光寺への参拝客などで非常に賑わいをみせていた..