記事「青函連絡船」 の 検索結果 545 件
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 394出入港スタンバイ非番? およそオフィサー(航海士)になり出入港S/B(スタンバイ)で、配置につかない事など想像もつかなかった。船で最も忙しい時でもあり、オフィサーに限らず..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 393ありがた迷惑? 船員の立場から見れば、青函連絡船の勤務は恵まれていた。基本的な体制が確立され、比較的レベルの高い船の仕事ができ、普通のサラリーマンに近..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 391今日は何の日 気付かずにすぎてしまう年もあれば、あらかじめ知っている場合もある。朝のラジオ「今日は何の日」で、1988年(昭和63年)青函トンネルが開業し、それまで..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 385あれ! それ 近ごろの会話で「あれ、それ、あの、その・・・・・」代名詞で間に合わせ、肝心の事が出ない時が多い。パソコンやスマートフォンの性能が向上するなか、我が頭のメモリーはデジタ..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 382手ごわくも禍を転じて福と為す 青函連絡船 現在のJRからは考えられないが、昔の国鉄では第94話のように、労使関係でもいろいろあった。..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 380青函航路61マイル(海里)にひそむ一喜一憂 19年ぶりに日本人横綱の誕生で、国中が歓喜に湧いている。国籍にこだわるものでないが、国技と云うからには、稀勢の里関の快挙に多くの..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 375財政再建? どこかの街で市長と副市長が勤務時間中に、賭けマージャンのショッキングなニュースに加え、記者会見のやりとりにも驚いた。 洞爺丸事故..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 374かつての備讃瀬戸航路(粟島北方) 止まる勇気 テケミ 時には人と人は考えや行動の、タイミングが一致する場合が..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 372船は難しい 船を知っているようで、わからないところも多い。船長や航海士がそのような有様では不安かも?、いや基本的な運航については、しっかり身に..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 371昭和46年頃の函館駅 波高し しばらく遠ざかっていた古里の島へ、祖母の墓参と所用を兼ね訪れた。瀬戸内芸術祭を終え..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 370最近の話題も 中央競馬G1レースのジャパンカップが行われ、1番人気のキタサンブラックが優勝した。オーナーは歌手の北島三郎氏で、表彰式では恒例の「まつり」を..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 369風がなくても風が吹く オートバイや自転車で走ると、風の抵抗を受けるが、特に自転車の向い風は風圧が大きく、追風では小さく楽に感じる。 船も..