記事「青函連絡船」 の 検索結果 596 件
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 419アンカーと動輪(青函局資料による) 海図なき航海 たびたび書いてきたが、船に例える言葉は、日常的によく使われるケースが多い。よほど使い..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 417浪人中のドライブ 青函連絡船の廃止から陸上勤務を経て、JR北海道を退社し天下の素浪人となり、ストレスがたまらず精神的に良かった。 と言うのは強がりかも、会社の庇護や保険も無く..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 415家のアジサイ 天候 湿度の高い梅雨時の天候が続き、快適とは言えないが、田植えや農業等には欠かせない、四季の恵..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 414まぐれ 人生航路を進み続けるうちに、まぐれ当たりとか、まぐれと言われることも起こる。前にも少し書いたように、数字的な偶然も確率が高かった。 ..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 410分らない 船に長く乗っていたが、なかなか理論通りにならない事や、よく分からないこともあった。一般商船は個々に状況が違うが、青函連絡船は性格上よく似ており、ひとまと..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 409函館山バックに羊蹄丸 船との巡り合わせ 80年続いた青函連絡船であるが、自分が携わったのは津軽丸など、いわゆる自動化船とか新型船と云..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 407必ずしも十分とは どのような仕事も知識と経験を要するだろうが、船という特殊な環境では、特に慣れと経験が欠かせなかった。現に船へ第一歩をかけても、大きなとまどいを感じる..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 406オモテひらけ 船で乗組員が忙しくなるのは、出入港時が一番だろう。甲板部や機関部は直接運航に関わり、無線部は通信連絡が多く、事務部は乗客の乗下船の案内に全力で当たった。 ..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 402過去 正月と盆休みが大きな区切りになるが、ゴールデンウィークは中休みのようだ。気候の良い時期にまとまった休暇は、旅行に最適であるが、交通機関などの混雑も大きい。 旅行に..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 401最後の花道 青函連絡船といえば、すべて十和田丸のイメージに代表された。新型船が就航した当初は、第一船の津軽丸が有名だったが、時代の変遷に早い引退で交代した。 最後を..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 400最後の航海 恒例ながら春になると、船長会はじめ各校のクラス会ほか、いろいろな会合の案内をいただき、幹事やお世話してくれる方々の労に感謝している。 旅行や行事にも誘って..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 398新針路 国鉄から分割民営化されJRグループが発足して30年を超えた。それぞれ状況が違っていたが、全体的に過剰人員の傾向があった。経営安定基金が交付されるJR三島会社、特に経営の苦しい..