記事「静岡」 の 検索結果 9395 件
-
ペリー艦隊来航記念碑(下田)嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に、江戸幕府とアメリカ合衆国の間で日米和親条約(神奈川条約)が締結され、下田と函館が開港されました。開港後の下田にペリー艦隊が来航し、上陸したのがこの地付近との..
-
欠乏所跡嘉永7年(1854年)3月に締結された日米和親条約により、下田では、薪・水・食料・石炭などの欠乏品を外国船に供給することになりました。貿易は不認可でしたが、これで事実上の貿易が開始されたことになりまし..
-
了仙寺静岡県下田市にある日蓮宗のお寺で、「ジャスミン寺」の別名があります。嘉永7年5月22日(1854年6月17日)、日米和親条約の付属条約、下田条約が締結された場所であり、国の史跡に指定されています。
-
長楽寺静岡県下田市にある真言宗のお寺で、伊豆横道33ケ所霊場の23番札所。日露和親条約調印、日米和親条約の推准書交換が行なわれたところで、境内には、お吉観音を祀る宝物館や、悲恋のおすみ弁天などがあります。
-
下岡蓮杖記念碑下岡蓮杖は文政6年(1823年)、下田中原町に生まれ絵師を志しましたが、結局、横浜で写真術を習得し、営業写真館「全楽堂」を馬車道に開きました。下田公園には下岡蓮杖の記念碑と銅像が建立されています。
-
独鈷の湯弘法大師が大同2年(807年)に修善寺を訪れたとき、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させ、その湯で病人が完治したそうです。これでこの地方に湯治療養が広まり、修善寺温泉が始まったとされて..
-
修禅寺修善寺温泉街の中心にあり、修善寺の地名の由来ともなった曹洞宗のお寺。源頼朝の弟の源範頼、また源頼朝の息子の源頼家が幽閉され、その後、2人ともこの地で殺害されたことで知られています。「修禅寺物語」の題材..
-
源範頼墓源範頼は源義朝の六男で、源頼朝の異母弟、源義経の異母兄。木曽義仲・平家追討の戦いでは、義経と共に源氏軍を率い功績をあげましたが、兄の頼朝に謀反の疑いをかけられ、修禅寺に幽閉後に殺害されてしまいました。..
-
源頼家墓源頼家は父頼朝の急死により18歳で鎌倉幕府の第2代将軍となりましたが、頼家による独断的な政治手法が御家人たちの反発を招き、伊豆の修善寺に幽閉され、北条氏の手により暗殺されてしまいました。 ..
-
指月殿鎌倉幕府の2代将軍源頼家は修禅寺に幽閉中に殺害されました。指月殿は北条政子が息子頼家の菩提所として建立したと伝わっていて、伊豆最古の木造建築と云われています。
-
十三士墓鎌倉幕府第2代将軍源頼家が北条氏の陰謀に遭い修禅寺に幽閉され、入浴中に幕府からの刺客により惨殺されました。その6日後、頼家の家臣らは謀反を試みましたが失敗し討伐され、ここに葬られたとのことです。
-
守山八幡宮静岡県伊豆の国市、北条氏邸があったとされる守山の中腹にある神社。治承4年(1180年)8月15日、源頼朝は平家追悼を祈願してこの地で挙兵。頼朝はここから山木館方面に火の手が上がるのを眺めたと伝わってい..