記事「館跡」 の 検索結果 184 件
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藤谷黄門遺跡藤谷黄門(冷泉為相)は、鎌倉時代の公卿・歌人。官位は正二位・権中納言で、冷泉家の祖。父は藤原為家、母は「十六夜日記」作者の阿仏尼。藤谷家の家名は為相が鎌倉の藤ヶ谷に関東における別宅を構えた事に由来する..
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扇谷上杉管領屋敷跡扇谷上杉管領家は4家(山内、扇谷、宅間、犬懸)あった管領家の一つ。太田道灌はこの扇谷上杉家の家宰でしたが、主君により暗殺されました。その後、扇谷上杉家は川越夜戦で主君が討ち死にをして滅亡しました。 ..
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国木田独歩住居跡国木田独歩は千葉県銚子生まれの小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。 明治29年(1896年)に現在の渋谷区のNHK放送センターの南側に移り住み、翌明治30年(1897年)6月麹町に移ったそうです。
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遍奇館跡現在の東京都港区六本木で、作家永井荷風が大正9年(1920年)から 昭和20年(1945年)の空襲で焼けるまで25年間住んだ処。偏屈な変わり者を自認し、ペンキ塗り木造2階建ての洋館をもじって偏奇館と命..
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江川太郎左衛門屋敷跡東京都墨田区、すみだ北斎美術館のすぐ近くに案内板がたてられています。 江川英龍は江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。近代的な沿岸防備の 手法に強い関心を抱き、品川台場を築造し、また反射炉の建造に取り組み..
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七条仏所跡京都市下京区材木町にある定朝の子とされる覚助を祖とする仏師の工房跡。鎌倉時代にはこの仏所から5代康慶、6代運慶、7代湛慶および 快慶らが相次いであらわれ、剛健写実的な作品を生み出していきました。
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左女牛井戸跡左女牛井は京の名水の一つで、堀川五条のやや南に碑が建てられています。この辺りは、源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構えた六条堀川館があった所とのことで、この左女牛井はその源氏の本拠地の邸内にあっ..
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加賀藩邸跡加賀藩は102万石を誇った最大の外様大名で、前田家が代々藩主でした。 高瀬川の西側、河原町通にいたる間は、江戸時代に加賀藩の藩邸があった処で、留守居役が詰め、各種の連絡事務に当たっていたそうです。
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白川南殿跡平安時代後期(11~12世紀)、白河とよばれたこの地には上皇の御所が設けられていました。その内の一つである白河南殿は「白河泉殿」、「南本御所」ともよ ばれ、阿弥陀堂があったことから「白河阿弥陀堂御所」..
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酒井家上屋敷跡皇居(江戸城)大手濠の近くにある将門塚と同じ敷地に案内板があります。 江戸時代の寛文年間、この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭があった処で、 伊達騒動の終末、伊達安芸・原田甲斐が殺害されたところだそうです..
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滝沢馬琴の硯の井戸跡滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」の作者として知られている江戸時代の小説家。 寛政5年(1793年)に27歳で当時飯田町中坂と呼ばれたこの地の履物商伊勢屋に婿入りし、58歳で神田同朋町に移るまでここに住んで..
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磯御殿鹿児島市吉野町字磯にある仙巌園は薩摩藩主島津氏の別邸跡。別名を磯庭園とも呼ばれているこの庭園は、昭和33年(1958年)に国の名勝に指定されました。磯御殿は仙巌園の中心的な建物です。
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