記事「高橋亀吉」 の 検索結果 51 件
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指導教官が求めたこと②【2012年11月14日】 最初に提出した博論に対するコメント。とりあえずそのまま掲載します。 *初稿に対するコメントとリライト要求の方針案 1.従来の日本近代政治経済史研究、ならびに日本近代..
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指導教官が求めたこと①【2012年4月26日】 私が最初に博士論文の草案を提出したときの返信メールです。このときはまだ、指導教授がマルクス主義的歴史観のもち主であることに気づいていませんでした。 和田様 ざっと..
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転向していた、鈴木武雄3鈴木武雄が「転向していた」といっておいて、いまさらですが、鈴木自身は、そこまで思ってなかったようでした。 念のためと思って、1973年の『エコノミスト』を調べてみたら、『鈴木武雄――経済学の五十..
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大内兵衛グループの犯罪史2やっぱりもう少し書いておきます。 前回書いたのは、大内兵衛グループのうちの、いわば大内・有沢コンビによる、石橋湛山の排除を目的とした吉田茂を利用した策略といっていいものだと思うのですが、今回付け..
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いくつかの新しい情報2ここで、1939年9月30日、『東洋経済新報』誌上に掲載された無署名論文「朝鮮経済の新動向=前進基地的性格と工業化運動=」と社告「京城支局開設記念時局問題大講演会」を見ておきたいと思います。これは社..
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いくつかの新しい情報1先日、久しぶりに一橋大学の図書館へ行きました。私が現在、少しずつ読んでいる復刻版の『東洋経済新報』には、1938年分までしか収録されていないことがわかったからです。 今回ざっと見たのは、今まで見..
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寄り道:高橋財政期の湛山11930年代の湛山の活動を知ろうと、『石橋湛山全集』第9巻、『東洋経済新報』復刻版から座談会、同じく復刻版から政府要人のインタビューと読み重ねて行くうちに、改めて、湛山のもっていた広範にわたるネット..
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十五年戦争史観批判メモ8論戦はさらにつづきます。 所が明る日は船舶の問題でありました。(……)日本の競争が優秀な技術による競争ならば忍ぶことが出来るけれども、国家が補助金を与えて我々と競争し鉄道の割引をして我々と競争す..
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十五年戦争史観批判メモ7それでは、高橋亀吉の論駁はどのようになされたのか。亀吉は鶴見祐輔の報告書を用いて当時の会議のようすを伝えています。 鶴見氏は、まずグレゴリー教授の日本非難を次のように要約されている。 『日本..
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十五年戦争史観批判メモ6以下は、高橋亀吉『経済評論五十年』の第23節「世界的日貨排斥に対する論戦――太平洋調査会のカナダ、北米両会における論戦」からの要約です。 日本の飛躍的世界進出によって惹起された、イギリスを中..
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十五年戦争史観批判メモ5一方、同じく1933年8月のバンフ太平洋会議に出席した高橋亀吉はどうだったのか。ここでは亀吉が戦後に著した『経済評論五十年』より、まずその背景となる「昭和7-10年のわが経済の飛躍的発展」を見ておき..
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十五年戦争史観批判メモ3この記事を書き始めたとき、十五年戦争史観の誤りを指摘するには、石橋湛山の以下の評論が、上田貞次郎グループの人口問題研究、あるいは上田のバンフ太平洋会議(1933年)・ヨセミテ太平洋会議(1936年)..
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