記事「ミサ」 の 検索結果 398 件
-
祈りは年中無休現代社会の状況を考えると、教会のきまりを守れないと感じます。 でも、初代信者には、もっと大きな困難がありました。当時、日曜日は仕事の日でした。仕事の遣り繰りをして、なんとか主の復活を記念する..
-
日曜日のミサ「日曜日、ごミサに与ること」は、初代教会からの習慣です。 二世紀中頃、聖ユスチノが主の日の典礼に関して次のように述べています。 「『日曜日』と呼ばれている日には、町や村のキリスト者が全..
-
八日目使徒たちは八日目ごとに集まるようになりました。 イエスは復活した日曜日の夕方に、使徒たちが集まっていた家に御出現されました。その時、使徒の一人でディディモ(双子)と呼ばれていたトマがいません..
-
洗礼の鍵今日、洗礼を受ける方に話します。 洗礼を受けたからといって、全てが解決するわけではありません。洗礼は出発点にすぎません。すでに何年もキリスト信者をしていても、その長さだけで全てが解決したわけ..
-
キリストの復活を信じますか?婦人たちは復活したイエスに出会いました。 でも、弟子たちはそれを信じませんでした。先ほど読まれたエゼキエルの書の中に次の言葉が出てきました。「おまえたちの心から石の心を取り除き、肉の心を与え..
-
幸せの根っこは?「十字架の形をしている」と聖ホセマリアは教えました。 イエスが復活する前に、十字架の苦しみがありました。「栄光に入る為には、苦しみを通らなければならない」とイエスご自身が教えられました。いい..
-
最後の晩餐レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」という絵があります。 そこで、イエスが何をなさったか、キリスト信者でなければ知らない人も多いかもしれません。あの最後の晩餐で、イエスはパンを手に取って..
-
足を洗うとは…最後の晩餐の席で、イエスが使徒たちの足を洗います。 恐れ多いと感じたペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と尋ねました。恥ずかしさから、「わたしの足など、決して洗わな..
-
十字架につけよ!エルサレムの人々は、イエスを救い主(メシア)と考え、「ホザンナ(万歳)!」と叫び大歓迎しました。 ところが、それから数日後には、「十字架につけよ!」と叫んでいました。手の平を返すように態度を..
-
目からウロコこの表現は聖書の「聖パウロの回心」に出てくる言葉に由来しています。 パウロはその博学と熱心さで前途有望なユダヤ教の先生でした。その頃、イエス・キリストという男を救い主だと信じる人々が現れまし..
-
あの世とこの世ある葬儀ミサの葬送の挨拶より F社の社長としてはよく存じ上げません。私が知っている故人は、むしろその逆です。社会的な身分とか名誉とかを脱ぎ捨てて、神のみ前に頭を垂れておられる謙虚な一人のキリ..
-
喜びなさい!現代人は楽しみを求めていますが、心に喜びがありません。 なぜでしょうか?聖家族を見てみましょう。誰も「自分の時間、自分のお金、自分の好み、自分の都合、自分の気持ち・・・」など、自分のことは微..