記事「世田谷文学館」 の 検索結果 67 件
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せたがや文学を歩く⑮●寺山修司③ 「『杉並に住んだから、今度は世田谷なんてのはどうお』(中略)何件か見て回った末に、世田谷区下馬のその借家には、備え付けの大きな本棚があるという理由で、わたしたちは転居先をそこに..
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せたがや文学を歩く⑭●寺山修司② 「あらゆる既成の価値に反抗し、『墓にツバをかけて』きた私が、いつのまにか家を構え、庭に花を植え、マイホームの中へ退行しているという現実(中略)私は妻と相談して、少しずつ『家庭』の..
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せたがや文学を歩く⑬●寺山修司① 寺山修司は、昭和10年青森県に生まれた。中学時代より文学に通じ、高校進学後は全国学生俳句会議を組織する。そして、新聞や雑誌の学生俳句欄に名前が載った学生を呼び集め、「十代の俳句誌..
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せたがや文学を歩く⑫~三軒茶屋編●山田風太郎③ 山田風太郎は三軒茶屋に住んだ頃、経堂に住んでいた高木彬光、成城に住んでいた横溝正史らと交友を深めたが、他に、作家の色川武大とも世田谷時代に築いた深い縁がある。 色川武..
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せたがや文学を歩く⑪~三軒茶屋編●山田風太郎② 山田風太郎は昭和21年、創刊されたばかりの探偵小説専門誌「宝石」の懸賞募集に「達磨峠の事件」を応募、入選を果たした。 この作品が、翌年の22年「宝石」1月号に掲載され、本格..
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せたがや文学を歩く⑩~三軒茶屋編●山田風太郎① 忍法帖シリーズや明治伝奇小説で人気を博した作家・山田風太郎は、昭和20年から32年まで、三軒茶屋(現・太子堂)に暮らした。 風太郎が世田谷に住むことになったのは、戦..
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せたがや文学を歩く⑨~下北沢編●萩原朔太郎③ 光る地面に竹が生え、青竹が生え、地下には竹の根が生え、・・・ 萩原朔太郎は、中学校の教科書にも収録されたこの『竹』を含む第一詩集『月に吠える』を大正6年に刊行。この口語..
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せたがや文学を歩く⑧~下北沢編●萩原朔太郎② 朔太郎は、世田谷代田に鋭角的な屋根を持つ家を建てて落ち着いた昭和 10年11月、「散文詩風な小説」とサブタイトルの付いた幻想的な作品 『猫町』を刊行した。 物語は主..
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せたがや文学を歩く⑦~下北沢編●萩原朔太郎① 昭和8年、詩人の萩原朔太郎は代田1丁目(現・代田2丁目)に新居を完成、 自ら設計した家に母・慶、妹・愛子、長女・葉子、次女・明子と移り住んだ。 朔太郎は前橋の開業医..
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せたがや文学を歩く⑥~下北沢編●横光利一③ 横光の北沢(現・代沢2丁目)の家は、別名「雨過山房(うかさんぼう)」と呼ばれ、 これは作家の犬養健が命名した。 戦況が悪化する以前、この家に多くの文学者、編集者や出版関..
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せたがや文学を歩く~下北沢編⑤●横光利一② 昭和15年7月に発表された「睡蓮」は横光利一自身の体験をもとに書かれた作品である。北沢(現・代沢2丁目)の家の隣人の謙虚清澄な人柄とその家族の情愛に満ちた様子を十数年にわたって見..
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せたがや文学を歩く~下北沢編④●横光利一① 井の頭線の下北沢駅から渋谷方面に向かう車窓からは、下北沢の繁華街が眼下に見える。それも束の間、住宅地がどんどん小高くなって池ノ上駅は地上と同じ高さになり、線路は駒場東大前駅に向か..