記事「京都」 の 検索結果 58894 件
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小枝橋碑慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽街道を北上する幕府軍と、これを阻止しようと竹田・城南宮周辺に布陣していた官軍は、この地小枝橋で衝突しました。幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いだったとのことで..
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鳥羽離宮跡鳥羽離宮(鳥羽殿)は白河天皇が創建した譲位後の御所で、鳥羽上皇の代にほぼ完成し、14世紀頃まで代々院御所として使用されていたそうです。現在の京都市南区上鳥羽、伏見区竹田・中島・下鳥羽一帯がその知識との..
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袈裟御前墓袈裟御前は渡辺渡の妻で、従兄弟で夫の同僚の遠藤盛遠から横恋慕され、その執拗さから逃れるために、遠藤盛遠を騙して自らを盛遠に殺害させました。盛遠は自分の行いを恥じて出家し袈裟御前の墓を建てたとのとです。..
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恋塚寺恋塚寺は源平盛衰記に登場する遠藤盛遠が創建したのが始まりとのこと。盛遠は源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、その結果、誤って袈裟御前を殺害してしまい、これを深く恥じた盛遠は袈裟の墓とこのお寺を建てたそうです..
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鳥羽伏見戦跡地碑京都府京都市伏見区納所、旧京阪国道沿いにある鳥羽伏見戦跡地の碑。明治元年(1868年)1月5日の戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いにおいて、この地域一帯で、徳川幕府軍と薩長軍の戦闘が有ったことを示す碑です。
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古淀城薬師堂跡淀城には2つあり、豊臣秀吉が淀君のために修築した納所にあった城が古淀城と呼ばれていて、文禄3年(1594年)に廃城となりました。この石標は文禄3年に廃された古淀城内の薬師堂跡を示すものとのことです。
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妙教寺京都府京都市伏見区にある法華宗真門流の寺。鳥羽・伏見の戦いで被災し、境内には戦死した幕兵の碑があります。また、豊臣秀吉が淀君に産所として与えた淀古城はこの辺りにあったとのことです。
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唐人雁木旧趾京都市伏見区納所の千本通に石碑の建つ、大坂からの船の船着き場のあった場所。朝鮮通信使(唐人)が上陸したところとされていて、使節が下りた場所は羽を広げた雁のような形の石段だったので、唐人雁木と呼ばれてい..
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戊辰役東軍戦死者慰霊碑鳥羽伏見の戦で激戦地となった宇治川堤千両松の地に立つ碑。戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑が明治40年(1907年)に建立されましたが、その碑を撤去しようとしたところ怪異が起きたので、埋骨地碑は元に戻されたそ..
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淀小橋旧趾淀小橋は山城国淀藩の淀城下の宇治川に架けられていた橋。淀藩はかつて三川の合流地点にあった藩で、北に面した宇治川には「淀小橋」、南の木津川には「淀大橋」が架けられ、淀城と城下町の入口となっていました。
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伏見桃山陵明治45年(1912年)7月30日、明治天皇は東京の宮城・明治宮殿で崩御し、東京の帝國陸軍練兵場で大喪儀が執り行なわれ9月14日に埋葬されました。陵の敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地だそうです。..
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伏見城伏見城は京都の南の丘陵上にあった城で、後に桃山城とも呼ばれた城です。伏見城は3回築城され、豊臣期の城は大変豪華絢爛だったようですが、現在の天守閣は遊園地の一部として建造された模擬天守閣です。