記事「京都」 の 検索結果 58894 件
-
寺田屋寺田屋は江戸時代末期に現在の京都市伏見区にあった旅館。文久2年(1862年)の薩摩藩による尊皇派志士の鎮撫事件、また、慶応2年(1866年)の伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件の現場として知られています。..
-
弾痕(伏見魚三楼)慶応4年(1868年)1月3日、鳥羽伏見の戦いで新政府軍と幕府軍が激突。新政府軍陣営の御香宮と、幕府軍陣営の伏見奉行所の中間に位置していた料亭「魚三楼」の表通りに面する出窓の桟と柱に当時の弾の跡があり..
-
伏見奉行所跡慶應4年(1868年)正月3日の鳥羽伏見の役で、会津藩兵、新撰組隊士たち幕府側は伏見奉行所を拠点にしましたが、御香宮神社から大砲による砲弾が撃ち込まれて奉行所は炎上、幕府側は壊乱し撤退していきました。..
-
伏見の戦跡碑京都市伏見区の御香宮神社境内にある、鳥羽伏見の戦いの跡を示す碑。慶応4年(1868年)正月3日、御香宮に陣を構えた薩摩藩将兵800人と、伏見奉行所に入った会津藩を主とした幕府軍1500人が、激戦をしま..
-
山脇東洋解剖碑所在墓地杉田玄白の解剖の17年前の宝暦4年(1754年)、山脇東洋は六角大宮にあった六角牢獄で刑死人の解剖を行い、解剖記録『臓志』を記しました。その後も解剖を続け、14柱の供養碑が誓願寺の墓地に建てられたそう..
-
南禅寺三門藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るために寄進したもので、京都三大門の一つに数えられています。 石川五右衛門の「絶景かな絶景かな……」の名科白で知られています。
-
若宮八幡宮京都市下京区若宮町にある神社で、東山にある若宮八幡宮の前身の神社。源氏累代の屋敷であった六条堀川館のあった場所とされ、源義家の生誕地、土佐房昌俊が源義経を襲撃した堀川夜討が起こなわれた場所とのことです..
-
妙見寺城跡元々は妙顕寺があった所でしたが、豊臣秀吉が寺を他所へ移転させて、ここに館を造営したそうです。そして聚楽第をつくるまでの間、秀吉がここを京都の政庁としていたとのことです。当時は天主もあったそうですが、現..
-
閑院跡二条城近くにあった平安時代から鎌倉時代初期にかけての藤原氏邸宅跡。当初は藤原冬嗣の邸宅でしたが、藤原公季が伝領してから「閑院」と称し、高倉天皇の時から90年以上にわたり、里内裏として使われたということ..
-
東三条院址東三条殿(東三条院)は平安時代に現在の京都市中京区に建てられた邸宅。摂関家当主の邸宅の一つで、特に11世紀後半からは摂関家の象徴的邸宅として重視され、保元の乱の舞台ともなったところだそうです。
-
高松殿跡醍醐天皇の皇子源高明の邸宅で、高明の娘が住み高松殿と称されたとのこと。後に後白河天皇がここで即位して高松内裏とも称されたそうです。保元の乱の際には、後白河天皇の本拠地ともなった所です。
-
三条西殿跡京都の三条通りと烏丸通の交差する交差点の北西角にある烏丸ビルのある辺りが三条西殿跡ということで、白河法皇、鳥羽上皇、待賢門院の御所があり、院政時代の政治の中心地だったそうです。