記事「京都」 の 検索結果 58894 件
-
池田屋事件殉難者墓幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町の旅館、 池田屋に新選組が討ち入り、勤王の志士たちに多くの犠牲者が出ました。 京都東山の霊山墓地に、池田屋事件殉難者の墓碑が並んでいま..
-
坂本龍馬・中岡慎太郎像(霊山墓地)京都の霊山墓地にある、坂本龍馬・中岡慎太郎の墓の脇にある二人の像。 坂本龍馬と中岡慎太郎は共に、慶応3年11月15日(1867年12月10日)、 京都河原町近江屋井口新助邸において、何者かによって..
-
坂本龍馬・中岡慎太郎墓慶応3年(1867年)11月15日に暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎は、 18日に近江屋で葬儀が行われ、霊山墓地に埋葬されたとのことです。 龍馬の命日の11月15日には、お墓の前で慰霊祭が催されてい..
-
六波羅跡現在の東山開晴館(京都市立の小中一貫校)に碑が建てられています。 平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が 営まれ、またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれました。
-
六波羅蜜寺踊り念仏で知られる市聖空也が、天暦5年(951年)に造立した道場に 由来し、当初西光寺と称したそうですが、空也の死後、天暦5年(977年)に 比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改..
-
平清盛塚(六波羅蜜寺)六波羅は院政期の平正盛以来、代々平家の拠点となってきたところです。 平清盛の時代に、清盛は「西八条邸」を造営して政治の拠点を移しましたが、 平氏一門の軍事力の拠点は引き続き六波羅館に残されていたと..
-
阿古屋塚阿古屋塚とは、阿古屋の菩提を弔うために鎌倉時代に建立された供養塔。 阿古屋は、平家の侍・悪七兵衛星景清の恋人の遊女で、歌舞伎の 「出生景清」「壇ノ浦兜戦記」の場面「阿古屋の琴責め」に描かれています..
-
牛若丸・弁慶像牛若丸と弁慶が出会ったのは、京の五条の橋の上ということになっています。 京都の五条大橋の西側(河原町通との交差点近く)の中央分離帯には、 その状景を模した京人形(御所人形)風の2体の石像が設置され..
-
耳塚京都市東山区、豊国神社の近くにある、鼻塚とも呼ばれている塚。 慶長の役で、戦功の証として削ぎ取った朝鮮・明国兵の耳や鼻を 持ち帰り葬った塚で、2万人分の耳と鼻が埋められているそうです。
-
方広寺大仏殿石垣豊臣秀吉は天正14年(1586年)に、松永久秀の焼き討ちにより焼損した 東大寺大仏に代わる大仏の造立を発願し、文禄4年(1595年)に完成。 方広寺から国立博物館西側に、当時の大仏殿の石垣が残され..
-
方広寺梵鐘京都市東山区の方広寺境内にある梵鐘で、方広寺鐘銘事件で有名。 梵鐘の銘文のうち、「国家安康」「君臣豊楽」の句が、家康及び徳川家を 冒瀆するものと看做され、豊臣家滅亡を招いたとされてい..
-
豊国神社京都市東山区に鎮座する、神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を 祀る神社で、豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となりましたが、 のちに明治天皇の勅命により再興されたとのことです。