記事「人生」 の 検索結果 25715 件
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五十代は総仕上げ五十にして天命を知る、といわれるように、たしかに五十代というのは、人生の総仕上げの時期ともいえる。だいたい独創的なものは、二十代から三十代にかけてあらわれてくるけれども、それを四十代に発展させていっ..
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「気休め」は消えやすいエーリッヒ・フロムは、かれ以前の多くの人びとと同じように、高次の快楽と低次の快楽を区別しようとして、興味深く、重要なこころみをした。これは主観的な倫理の相対性を切り抜けるのに決定的に大切なもので、科..
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仏教を弘通した主体者出家教団というのは、社会との関係を自ら閉じてしまう傾向性があった。その結果、釈尊の生前の教えについても、教団内の秩序を維持するための戒律や、煩瑣な教義解釈の面から取り上げる方向に向かっていったのでは..
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成長に悲哀や苦悩は必要か悲哀や苦悩にも望ましいものがあり、必要なのではないか、との疑問にもまた応えねばならない。いったい、成長や自己充実が苦悩や悲哀、不幸と混乱をともなわずして達成できるものだろうか。これらがある程度必要で..
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理想世界の建設に努力する者大乗の菩薩というのは、自ら菩薩としての修行をまっとうするとともに、この現実社会に仏国土、つまり理想世界を建設しようと努力する者だ。声聞の阿羅漢のように、自分の煩悩を断滅することのみに汲々とするのでは..
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人の苦しみをわが苦しみに健康体の人には病人の苦しみはわからないといわれるように、他人の苦しみをわが苦しみとしてともに悩むということは、なかなかできないものだ。仏には「少病少悩」といわれるけれども、一切衆生の異の苦しみをわ..
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人によって受け取り方が違う仏の説法は一つであるのに、それを聴く者の機根によってさまざまに理解されている、ということだ。同じ話を聴いても、人それぞれによって受け取り方が違うということは、今でもよくあることだね。 どんなに立..
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苦を離れるのではなく乗り越えるむろん、釈尊は、この人生は苦であると教えたけれども、そこにとどまっていたわけではない。苦の人生を離れようとするのではなく、生老病死の苦を明らかにみて、それを克服しようとした。そこに仏教の真髄があった..
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非物質的な欲求もある子宮内の生活は、完全に満足すべきもので、欲求不満を生ずる点はない。さらに、生後一年以内の生活もまた基本的に満足され、なんら欲求不満をもたない方がよいことは、今では一般に認められた事実である。禁欲主義..
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冥伏させる真、善、美、健康、知能に、憎しみや恨みを抱いたり、羨望をもったりすることは、一般によくみられるところであるが(「反対価値」)、これらは大部分(まったくとはいわないまでも)自尊心を失うことをおそれて生..
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ミリンダ王問経自分の目で見、触れることのできるものだけが真実であるという考え方は、他人の認識の不確かさを責めるには有効であっても、けっして正しいとはいえない。じつは自分自身、見たことも触ったこともないものであって..
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釈尊五十年の説法とは釈尊五十年の説法は、何のためであったか。それは、生老病死の苦悩に沈む大衆を救うためのものであった。出家修行者であれば、つねにその原点を忘れることなく、大衆の幸せのために一身を捧げる決意でなければなら..