記事「会津」 の 検索結果 909 件
-
「家訓15ヶ条」と「什の誓い」(7)ところが、その夜から媛姫は「少々御虫気」状態になり、中屋敷のうちに養生することになった。 初めは「深き御容体にもこれなく」見えたが、松姫の婚礼から2日後の7月28日の朝寅の刻(4時)に至り、にわ..
-
「家訓15ヶ条」と「什の誓い」(6)事件は万治元年(1658)7月に起きた。おまんの方が産んだ長女媛姫は明暦元年(1655)米沢藩主上杉綱勝に嫁いでいたが、3年後の万治元年に側室おしほの方に産まれた四女松姫が、将軍家綱じきじきのお声掛..
-
「家訓15ヶ条」と「什の誓い」(5)第13条に「法を犯す者は、宥すべからず」とあるのは、武断政治から文治主義の政治へと切り替わるべき時代の流れに棹さした人物の言であろう。 さらに面白い(興味を引く)条項は第3条である。「婦人女子の..
-
「家訓15ヶ条」と「什の誓い」(4)第一条が會津藩の精神を端的に示す条項といえる。現代語に訳せば、「徳川将軍家に対して一心に忠義に励むべきで、他藩と同じ程度の忠義で満足してはならない。もし将軍家に対して逆意を抱くような會津藩主が現われ..
-
「家訓15ヶ条」と「什の誓い」(3)1、近侍者をして、人の善悪を告げしむべからず。 1、政事は、利害を以て道理を抂(ま)ぐべからず。僉議(せんぎ)は、私意を挟み人言を拒(ふさ)ぐべからず。思う所を蔵せず、以てこれを争うべし。甚だ相争う..
-
「家訓15ヶ条」と「什の誓い」(2)『会津若松史』第三巻にある読み下しから。 1。大君の儀、一心大切に忠勤を存ずべく、列国の例を以て自ら拠(お)るべからず。若し二心を懐(いだ)かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。 ..
-
七日町通り散策昨日は七日町通りを散策しました。 七日町通りには、古い建物をうまく利用したお店がたくさんあり、レトロな雰囲気が楽しめます。 面白いお店を見つけました..
-
会津若松といえばソースカツ丼会津若松といえばソースカツ丼が有名ですね。 今回は「なかじま」というお店に行きました。 2時近かったのですが、まだまだ混んでいました。 まずはキャベツソースカツ丼 ..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(最終回)◇歴史に見る古代の會津(最終回) 平安末期、會津の独立を守った慧日寺が1200年ぶりに再現することになった。会津若松市の隣町、磐梯町の国指定史跡「慧日寺跡」に、本堂にあたる金堂が平成2..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(399)◇歴史に見る古代の會津(49) 會津の領主慧日寺は、迫りくる平泉の勢力を排除して、會津の独立を保とうとして、城氏との同盟を策していたのであった。しかし、これは地形上、會津が遠い中奥や北..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(398)◇歴史に見る古代の會津(48) 「藍津」は、會津の当て字であろう。會津は城氏と同盟していたから、越後におれなくなった城氏が亡命したとしても、不思議はない。また、平泉藤原氏が、その亡命を..
-
会津 西隆寺会津 西隆寺山門 日々是実践 ⇒ 奥会津 西隆寺参拝