記事「会津」 の 検索結果 909 件
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(288)◇蒲生と加藤(最終回) めでたいことがさらに重なった。松平家に仕官してから間もなくのこと、高倉が上野のあの寺院に行っての帰途、おりからの雨の後の道の悪さに、乗っている馬が蹄を踏みすべら..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(286)◇蒲生と加藤(27) 「お引き合わせするのは、とくと貴方様のご心底を承っての上のことに致します。貴方様はお会いになった以上は、その母をご本妻にそなえ、そのお子を総領にお立て下さいましょ..
-
菊祭りで華やぐ秋の会津武家屋敷に行ってきました会津武家屋敷は10月中旬から11月下旬に菊祭があります。 懸崖や多輪などおよそ800鉢の菊が会津武家屋敷を彩ります。 10月下旬から11月上旬に見頃を迎え、秋の深まりと共に色づく 紅葉と合わせて..
-
とことん魅力!会津のお菓子が今も昔も美味しい会津の美味しいものはたくさんあると思います。 勿論お菓子もそうですね。 だから「オススメは?」という質問には答えられない。 さて、五郎兵衛飴とくるみゆべしと太郎いもも良いですよ。 何か..
-
赤瓦の会津鶴ヶ城とお城ボくんを見に行ってきました2011年に「赤瓦」に葺き替えられて幕末の天守閣が蘇った 会津若松市のシンボル鶴ヶ城に行ってきました。 赤瓦葺きの天守閣は、江戸時代にいくつか存在したそうですが その後、全て壊されたしまったため..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(271)◇蒲生と加藤(12) 「それには最も格好な者がございます。かようしかじかの人物」 「それは嬉しいこと。ぜひ召し抱えたい」 住持は帰るとすぐ、由解を呼んで、今日の話をしたが、喜ぶか..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(270)◇蒲生と加藤(11) 「お見受けしたところ、これからお旅立ちの様子でありますが、どこへ参られます」 「拙者は、この数年、西国にいましたが、浪人のたつき(よるべ、生活の手段)のないま..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(269)◇蒲生と加藤(10) 蒲生家は氏郷の死後、一旦、宇都宮に移された。関ヶ原役後、また会津に帰って来たが、寛永4年(1627)、氏郷の孫忠郷に嗣子がなくて亡くなったので、会津蒲生家は断絶し..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(265)◇蒲生と加藤(6) 「畏まりました。あれは馬鹿正直といわれているくらいの者でござるが、それだけに性根は頼もしゅうござる。見事に説き伏せましたなら、必ずお役に立つ者となるでござろう」 ..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(264)◇蒲生と加藤(5) 日野城のある辺りは岐阜(とはいわなかった、美濃だろう)から京へ至る幹線道路を外れているから、信長にとって、さしあたってどうというわけでのものでもないが、放置しておい..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(263)◇蒲生と加藤(4) 主のためには、飽きも、飽きれもせぬ仲の息子夫婦を離婚させてまで力を尽くすこの義理堅さに、六角父子の定秀に対する信任は最も篤いものになり、定秀は六角家の家老となった。..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(262)◇蒲生と加藤(3) 定秀は謀反の発頭人である後藤但馬守とはごく親密な仲で、後藤の姉を息子の賢秀の嫁にもらっているほどであった。定秀は思案した後、賢秀を呼んで、 「今度の騒ぎについて..