記事「北条政子」 の 検索結果 100 件
-
實朝暗殺(その10)出ていなは主なき宿と成ぬとも 軒端の梅よ春をわするな 妻が携帯で早咲きの梅の写真をとり、メールで送ってくれた。 ピンボケのせいか、 写真そのものがなにやらはるか昔の梅を写したように思われ、 ..
-
實朝暗殺(その9)流れ行く木の葉のよどむえにしあれば 暮れての後も秋の久しき 実朝暗殺について、駄文を書き連ねてきたが、 なにやらまだ書き足りないような気がする。 「實朝暗殺(その5)」でやめようと思い、 ..
-
實朝暗殺(その8)「子尅、將軍家、出御南面于時、燈消人定、悄然無音 只月色蛬、思傷心計也御歌數首、有御獨吟、 及丑剋、如夢、而青女一人、奔融前庭 頻雖令問之給、遂以不名謁、漸至門外之程、俄有光物 頗如松明、以宿..
-
實朝暗殺(その7)Behind every great fortune there is a crime. ―..
-
實朝暗殺(その6)「路次隨兵一千騎也 令入宮寺樓門御之時、右京兆、俄有心神御違例事、 譲御劔於仲章朝臣、退去給、於神宮寺、御拜脱之後、 令歸小野御亭給 及夜陰、神拜事終、漸令退出御之處、 當宮別當阿闍梨公暁、..
-
實朝暗殺(その5)「十六日 丁亥晴、 波多野次郎朝定、自京都歸著、 持參去六日除書將軍家、令兼任左近大將給御使 入洛之時、任故右大將軍之例、可被任右仍右幕下、 擬被辞申之刻、朝定上洛之間、亦改先篇有其沙汰、 御..
-
實朝暗殺(その4)「將軍家、俄御不例頗有御火急之氣、 仍戌尅、於御所南庭、被行屬星祭泰貞、奉仕之 武州、帯御撫物并御衣、令向其所給」 (「吾妻鏡」建暦元年(1211)六月ニ日) 実朝は突然の病を発し、熱が出..
-
命義依軽「・・・此上猶頭刎ラレバ、命義依軽、何イナム所カアラン、・・・」 (「山本七平の日本の歴史」p.186、原題は「ベンダサン氏の日本歴史」) 「命義依軽」、どこかで書いたぞと思ったら、ここだった..
-
クサンチッペ - ご存知・ソクラテスの妻 してその心裏は?本日は、ギリシャの大哲学者・ソクラテスの忌日である。 これをもって4/27を『哲学の日』、或いは『悪妻の日』とするらしい。 「ともかく結婚はしてみることだ。良妻ならば幸せになれるし、悪妻ならば..
-
西太后 - 中国三大悪女の最後の一人は?ご存知、清は咸豊帝の妃で、同治帝の母。清末期の権力者である。 舞台裏を明かそう。 この人物を取り上げるのは止めようかと思っていた。 というのは、ブログのタイトル的に論ずるべきものが見つからないの..
-
最上御前 (義姫) - 実の子・伊達政宗に毒を盛った乱世の母正宗の父・伊達輝宗は戦国には珍しいような温厚な人物と伝えられる。 奥州の暴れん坊・独眼竜政宗の気性は母譲りだというのが通例だ。 そもそもこの義姫の輿入れの理由が、凄まじい。 実家である最上家..
-
北条政子 - 我が子を謀殺した尼将軍では、我が国における女性支配者をとりあげよう。 北条政子、源頼朝の正室。 論者は別所で、源平時代一の女傑と評した。 頼朝なきあと、政子は幕府実権を手中にし徐々にその勢力を磐石にしていく。 ..