記事「古戦場」 の 検索結果 403 件
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倶利伽羅峠古戦場(石川県津幡町~富山県小矢部市)←猿ヶ馬場の平家本陣跡 (2003年10月・2004年4月訪問) 倶利伽羅峠古戦場は、挙兵した木曽義仲が平維盛率いる平家の大軍勢に大勝した古戦場である。砺波山源平古戦場とも呼ばれる。1183年、..
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柏木山古戦場(山形県山形市)←愛染神社と彼岸桜 柏木山古戦場は、上山城主上山満兼と米沢城主伊達輝宗の連合軍が最上義光と戦った古戦場である。天正年間に最上義守・義光親子の間で争いが起こり、先代で義父の最上義守から要請を受けた伊..
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戦人塚(愛知県豊明市)戦人塚は、桶狭間の合戦の戦死者を曹源寺の快翁和尚が葬って供養したと伝えられる塚である。 現在周辺は住宅地となっていて往時の面影はないが、周囲を見渡せる高台に築かれた塚であったことがわかる。塚..
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桶狭間古戦場(愛知県名古屋市・豊明市)←古戦場公園(豊明市) 桶狭間の戦いは、日本史を多少なりとも勉強した人ならば知らぬ者はないほど、日本の戦国史上重要かつ画期となった戦いである。尾張の織田信長が大軍で大挙侵攻してきた駿河の今川義元を..
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新田塚(福井県福井市)(2003年10月、2004年4月訪問) 福井市の中心から北北西へ直線で約3kmの位置にその地名はある。新田塚。新田義貞が戦死した場所とされている。 新田義貞は、1336年後醍醐天皇の..
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神流川古戦場 その1(群馬県高崎市、藤岡市)←石碑と解説板 神流川古戦場は、小田原北条氏と織田氏との決戦の地である。1582年3月、武田家を滅ぼした織田信長は、滝川一益を 厩橋城に置いて関東管領とし、上州を押えさせた。しかし同年6月、本能寺..
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瓜生保戦死地(福井県敦賀市)(2003年9月・2004年4月訪問) 瓜生保は、杣山城の城主で嵯峨源氏、箕田宛の子、源二渡辺綱の後裔と伝わる。珍しい一字の名乗りが特徴の一族である。瓜生保は、北陸に下って難攻不落の堅城金ヶ崎..
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万騎野原古戦場(山形県最上町)万騎野原古戦場は、岩部ノ楯(後の小国城)に拠って小国郷を治めていた細川摂津守直元と山形城主最上義光の軍勢が戦った場所である。戦国末期、出羽一国の統一を目指す最上義光は、天童頼澄を滅ぼすとその勢い..
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広河原古戦場(山形県上山市)広河原古戦場は、奥州の関ヶ原と言われる慶長出羽合戦における最上上杉両軍の激戦地の一つである。 上杉方本軍2万を率いた直江山城守兼続は、米沢城を出立すると荒砥城を経由して畑谷城に進軍、これを落..
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漆川古戦場(山形県大江町)漆川古戦場は、南北朝の動乱期に北朝方の斯波兼頼と南朝方の寒河江氏一族が激突した戦いの地である。すなわち、足利尊氏は奥州の押さえとして奥州管領として斯波家兼を下向させたが(大崎氏の祖)、家兼はさら..
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十五里ヶ原古戦場(山形県鶴岡市)←古戦場に眠る東禅寺右馬頭の墓 十五里ヶ原の戦いは、最上氏と越後上杉氏との庄内争奪戦の画期となった戦いである。 戦国末期、最上義光は北への侵攻を推し進め、庄内の大宝寺氏(武藤氏)を謀略で下し、..
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黒瀬川古戦場(山形県鶴岡市)黒瀬川古戦場は、戦国末期の最上氏と越後上杉氏の庄内争奪戦の最終決戦場である。 北へ北へと領土拡張を推し進める最上義光は、庄内の大宝寺氏(武藤氏)を謀略で下し、庄内を一旦は手中に収めた。しかし..