記事「古戦場」 の 検索結果 403 件
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御壇塚(埼玉県加須市)御壇塚は、犬懸上杉氏庶流の上杉中務少輔教房の自刃の地である。1455年、鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺したことで発生した享徳の乱は、またたく間に関東全域を覆う大乱となった。兄の跡を継い..
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荒谷(阿谷)古戦場(山形県天童市)←古戦場碑 荒谷(阿谷)古戦場は、南北朝時代に北朝方の幕将で奥州管領吉良貞家・貞経父子と南朝方の北畠顕信が会戦した場所である。1351年11月のことと言われる。この時期は室町幕府の大規模な内訌「観..
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掛入石(山形県上山市)←国道脇の掛入石 掛入石は、慶長出羽合戦にまつわる史跡である。古くから置賜と村山の領境を示す境石であった。往時は下部が窟となっていて、数十人も入ることができたと伝えられている。1600年の慶長出羽..
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根無藤古戦場(宮城県蔵王町)←一戦場の首塚 根無藤古戦場は、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦の際の古戦場である。藤原氏4代泰衡は、阿津賀志山に築いた長大な防塁を奥州防衛の最前線とし、その後方に幾つもの城砦を築き、根無藤に..
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打出浜古戦場〔大楠公戦跡碑〕(兵庫県芦屋市)打出浜古戦場は、南北朝時代の古戦場である。普通、打出浜合戦と言えば観応の擾乱の際に足利直義の軍勢と戦って足利尊氏・高師直が敗れた合戦を指すが、それ以前にもあり、合わせて前後2回の合戦が行われてい..
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朝日山古戦場〔赤松塚〕(兵庫県姫路市)←朝日山合戦に関連した赤松塚 朝日山合戦は、天文年間(1532~55年)に生起した赤松氏と浦上氏の抗争である。嘉吉の乱で一旦は滅亡した赤松氏は、旧臣達の努力で再興されたが、戦国時代に入ると重臣の浦..
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青山古戦場(兵庫県姫路市)←石碑と解説板 青山古戦場は、後に智将として勇名を馳せた黒田官兵衛孝高の初陣となった戦いである。青山の戦いは、赤松宗家とその庶流龍野赤松氏の対立に端を発している。宗家の置塩城主赤松義祐と龍野城主赤..
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山王堂古戦場(茨城県筑西市)←謙信が本陣を置いた山王堂 山王堂の戦いは、1564年に越後の上杉謙信が常陸の小田氏治を破った戦いである。これに先立つ1561年、小田原北条氏の本拠地小田原城を、関東諸将を率いて攻撃し、その帰途鶴..
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高天原古戦場(茨城県鹿嶋市)←鹿島義幹の墓 高天原古戦場は、鹿島氏内訌の古戦場である。1512年、鹿島景幹が、下総米野井城を攻めて討死すると、弟の義幹が養子として家督を相続した。義幹は、1523年に鹿島城を大改修したが、一部..
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阿久利川事件跡(宮城県栗原市)←解説板の建つ一迫川畔 阿久利川事件は、前九年の役において、陸奥守兼鎮守府将軍源頼義と俘囚長安倍氏との本格的な戦闘が始まる画期となった事件である。朝廷への貢納を怠るようになった安倍頼良は、1051..
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佐沼合戦旧蹟(宮城県登米市)登米市の佐沼地域には、葛西大崎一揆の際に伊達政宗による凄惨な掃討戦の舞台となった佐沼合戦に関わる史跡が残されている。佐沼城を訪城した折、これらの旧蹟を巡り歩いた。 <伊達政宗陣場> ←陣場跡..
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野木宮古戦場(栃木県野木町)←野木神社 野木宮合戦は、治承・寿永の内乱(いわゆる源平合戦)における北関東の大規模な戦いである。この合戦の年次については2説あり、寿永2年(1183年)説と養和元年(1181年)説がある。従来は..