記事「古戦場」 の 検索結果 403 件
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石橋山合戦関連史跡(神奈川県湯河原町・真鶴町)湯河原の山中と真鶴の海辺には、源頼朝挙兵の際の石橋山合戦に関する史跡が残っている。平治の乱で父源義朝が敗死し、池禅尼の助命嘆願で一命を救われて伊豆蛭ヶ小島に配流となっていた源頼朝は、1180年、平家..
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二俣川・鶴ヶ峰古戦場(神奈川県横浜市旭区)←古戦場の碑 二俣川・鶴ヶ峰古戦場は、鎌倉幕府の有力御家人畠山重忠の終焉の地である。重忠は、源頼朝の忠臣として鎌倉幕府創設に尽力し、智・仁・勇を兼ね備えた名将として有名を馳せた。その事績は畠山重忠..
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四万坂古戦場(神奈川県大和市)←四万坂 四万坂古戦場は、深見城の南方800m程の位置にある古戦場である。長尾景春の乱の際に、乱の鎮定に当たった扇谷上杉氏の家宰太田道灌と景春方の深見城の軍勢(山田伊賀守と言われる)が戦った古戦場..
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安達義景別荘〔附、鶴見原古戦場〕(神奈川県横浜市鶴見区)←別所にある熊野神社 安達義景別荘は、鶴見別荘とも呼ばれ、安達藤九郎右衛門尉景盛の子秋田城介義景の別邸であった。吾妻鑑には、1241年に将軍藤原(九条)頼経が武蔵野開発の方違の為に安達義景の鶴見別..
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大神古戦場(神奈川県平塚市)←古戦場の石碑 大神古戦場は、牛ヶ渕古戦場とも呼ばれ、1569年の武田信玄の小田原遠征の際に、北条方の軍勢が武田勢を迎撃した合戦である。大神から八幡原にかけての一帯は「牛ヶ渕」と呼ばれ、相模川と水..
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高松城水攻築堤跡(岡山県岡山市)←蛙ヶ鼻築堤跡 高松城水攻築堤跡は、史上名高い羽柴秀吉による備中高松城の水攻めの際に築かれた堤防である。天下布武を目指し統一事業を推し進める織田信長は、秀吉を中国攻めの総大将として中国の覇者毛利氏..
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船上山(鳥取県琴浦町)船上山は、1333年の元弘の乱の際に、後醍醐天皇が立て籠った山である。配流地の隠岐を脱出した帝は、伯耆国名和湊にたどり着くと、当地の土豪名和長年を頼った。長年はこれに応じ、要害性に乏しい自邸を焼..
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洲崎古戦場(神奈川県鎌倉市)←赤橋守時の腹切りやぐら 洲崎古戦場は、新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場である。1333年5月8日、上野の野からわずか150騎で挙兵した義貞は、上野国府を襲った後、疾風のように南下し、一路鎌倉を目指..
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中丸山古戦場(神奈川県横浜市瀬谷区)←古戦場の解説板 中丸山古戦場は、室町・戦国期の2度にわたる戦いの舞台である。 第1回目は、上杉禅秀の乱の時のことである。1416年に関東管領上杉禅秀(氏憲)は、鎌倉公方足利持氏と対立し、広く..
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三増峠古戦場(神奈川県愛川町・相模原市)←古戦場碑 三増峠古戦場は、小田原北条氏と甲斐武田氏の有名な古戦場である。全国有数の戦国大名同士の直接対決であり、しかも戦国史に数少ない大兵力による山岳機動戦として稀有なものである。事の起こりは、..
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実蒔原古戦場(神奈川県伊勢原市)実蒔原古戦場は、山内・扇谷両上杉氏が戦った長享の乱の際の古戦場である。1486年に声望の高かった扇谷上杉氏の家宰太田道灌は、主君扇谷上杉定正の糟屋館で謀殺され、道灌死後の翌年、関東管領山内上杉氏..
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南原古戦場(神奈川県山北町)南原古戦場は、南北朝時代の古戦場である。幕府内(北朝方)で観応の擾乱と呼ばれる内部抗争が起き、足利尊氏は対立する弟直義を追って鎌倉に下向した。直義を降したのもつかの間、この機に乗じて南朝方は各地..