記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
-
八通関古道竹山段-2【写真説明】清代八通関古道の開鑿起点は「九十九崁」と呼ばれ、レプリカ成らぬコンクリート製の九十九段の階段である。階段の最上下段は現代自動車道に面している。左写真は最下段、中央写真はその階段、右..
-
八通関古道竹山段-1【写真説明】竹山市街地最西端に位置する旧竹山神社跡は、壮大な鳥居が省道3号線を見下ろすように起立している(左写真)ので見逃すことは無い。但し、この鳥居を潜ると直接参道に導かれるのではなく、まず..
-
出磺坑古道(法雲寺古道)-5【写真説明】左写真は出磺坑古道終点、法雲禅寺境内に保存されている「大湖開闢紀念」碑。日本時代の建立であるが、漢人に依る大湖地区開拓顕彰碑。中央写真は碑本体正面、右写真は碑文の最終部分で「大正」..
-
出磺坑古道(法雲寺古道)-4【写真説明】越嶺部から法雲寺までは下り一方の山道で、古道終点(左写真)は、日光を正面から浴びていたこともあり、碧色に輝く屋根瓦を戴く豪華な構えの法雲禅寺(中央写真)の裏側だった。木陰の中にハイ..
-
出磺坑古道(法雲寺古道)-3【写真説明】地元には「出磺坑古道」の表示は案内板にも指導標にも無い。当該越嶺古道は陸軍歩道の最高点と思われる稜線直下の胡天宮までは指導標も里程標も敷設されておらず、それを過ぎると、「法雲寺古道..
-
出磺坑古道(法雲寺古道)-2【写真説明】左写真は出磺坑古道即ち陸軍歩道北側入口に立つ案内板。ネット上の紹介では全長1.8キロメートル、中油南側の山と山との鞍部を乗り越して法雲禅寺まで下る山道が古道、陸軍歩道に相当する。中..
-
出磺坑古道(法雲寺古道)-1【写真説明】左写真は、中油の敷地を巻くように走る一般車道脇に立つ架橋記念碑「永安橋」、「出磺坑永安橋復造喜助芳名」。「昭和八年」の銘あり。同写真奥に快速公路72号線の高架橋が映る。中央写真は明..
-
古油井歩道-9【写真説明】最後に出会うのは第29号油井。開坑時間は1923年(大正12年)8月25日、廃井時間は1974年(昭和49年)年8月4日。第18号油井と同じ頓鉆式(C式)。歩道が平坦になった見通し..
-
古油井歩道-8【写真説明】次に出会うのは第93号油井。開坑時間は1939年(昭和14年)8月17日、廃井時間は2002年(平成14年)年7月2日。テラスが組んで展示されている。油井の汲み取り方式が種々あるよう..
-
古油井歩道-7【写真説明】前回記事で述べたように、古油井歩道上には三基の古油井が残されている。最初に出会うのが、第18号油井。竹藪の中に朱色の流線形の鉄パイプが覗いている(左写真)。出来るだけ近くまで踏み入..
-
古油井歩道-6【写真説明】さて愈々古油井歩道を歩くことにする。傾斜角60度の地上ケーブル軌道を中心にすると、この軌道を歩いて登れる部分の一番高い場所に現代の油井の鉄塔が一基立っている。以前書いたように、そこ..
-
古油井歩道-5【写真説明】南寮の残りの宿舎群、即ち、四、八、十八号は所謂長屋であり、磺夫専用である。今回写真を掲載したのはその中で保存状態が最も良い第八号宿舎(左、中央写真)で、現在は一般の方の作業小屋、倉..