記事「地蔵」 の 検索結果 279 件
-
II暑い日だった。 梅雨が明け、すっかり夏型の気圧配置となった東京は、午前十一時で既に三十度を超え、つぎつぎと走り過ぎてゆく車がプラタナスの木陰を熱風の渦であおりたてていた。 昭和五十九年..
-
III入院から手術までの間、一度は一般病室に移ったが発作がひどく、またCCUに戻され、私には、もう日にちの経過や昼夜の区別がつかなくなっていた。 ただ、そんな中、私は病苦とは繋がらない奇妙な夢をよ..
-
IV私が歩き出そうとすると消えてしまう奇妙な感覚の中のその情景は毎回同じで、我に返ってもすぐには忘れられない。だから、その記憶も次第にはっきりとしたものになってゆく。 しかし、これはあくまでも病..
-
V私はいつもの荒れ果てて寒々とした山道を登りはじめてみた。 ところがどうだろう、幻覚はいつもと違って途絶えないばかりか、私のハダシの足の裏に幻影であるはずの山道の、その地面の尖った石粒がくい込..
-
VIそのときだ。頂上から私に怒鳴りつけるような声。 見上げて眼をこらしてみると、それは思いもよらぬ私の兄ではないか。亡くなって既に十年は経つ二番目の兄なのだ。その次兄が大岩から私を逃がそうとして..
-
VII秋の早い年だった。 九月の下旬には庭の金木犀が無数の蕾をつけていた。 慶応での手術から四日目には榊原へ戻り、その八月の末には榊原からも退院できるという異例の快復ぶりには主治医も驚いてい..
-
VIIIその義弟が私の重態を知って病院に駆けつけたあと、その日のうちに引き返し、本州最北端下北の地から願掛けをして病本復を祈ってくれていたというのだ。 つぎの奥入瀬のあとは馬門温泉の予定だったから、..
-
IXこの湯治旅行で、過去の自分には何と薄っぺらな感性しかなかったのだろうという、内心汗ばむような回想に私は幾度か見舞われていた。 ところで、死に直面したときの心情というのは、暗く、なにも無く、寒..
-
X温泉三昧の二週間が過ぎ、夕刻大湊の駅に着いた。 少し風が吹いていた。 風というのは不思議なものだ。はじめて大湊に訪れた、やはり晩秋だったその日からは、およそ二十年が経っているのだが、冬..
-
XI珍客の来訪で、大家族の家人たちが遠慮気味に客間に集まった。その家人同士の控えめで素朴な小声の遣り取りによって、彼らの当主である義弟の《願掛け》の日々が細切れに明かされてゆく。 義弟は、かしこ..
-
不思議の体験 I文明の発達により、人はいろんな体験ができるようになった。 飛行機のおかげで地球には裏も表もなくなった。 人類の夢だった月世界旅行も現実のものとなりつつある。 また、CGやオーディオ機器を..
-
戻れない日々 14日目 原宿?駅を降りてしばらく歩くと熱気溢れる人の波で溢れかえっていた。 すごいな、ここは… 人の多さに圧倒されていた。 今日は初めての原宿に来て右往左往していた。 表参道、竹下通り、青山通りそんな洒落た名..