記事「城」 の 検索結果 7446 件
-
金沢城 黒門前緑地 ~ 黒門口 高峰精一(元稑)尾﨑神社の北参道を出て右に行くと、会計事務所のビルと白い明治・大正期と思われる古民家などがあります。江戸時代、この地には御算用場がありました。その敷地は大きなもので現在の尾﨑神社から会計事務所や住宅を..
-
金沢城 甚右衛門坂~尾﨑神社尾山町の住宅街の路地で観た玄関注連縄昨昨年の秋から昨年1.2月にかけて金沢城の長いシリーズを書きましたが、今回は久しぶりに金沢城の北側を歩いてきました。本来金沢城の大手門及び大手道は北側の百閒堀と大手..
-
雑記 神通川の舟橋天正13年(1585年)8月、豊臣秀吉の破却命令で富山城は廃城となっていました。文禄4年(1595年)前田利長が新川郡を領有して越中一国が加賀藩領となると、防衛の重視地区は越後国境に移り、その役割はま..
-
富山城址 荒城の月荒城の月 春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいずこ 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて植うるつるぎに照りそいし むかしの光いまいずこ いま荒城のよわの月 ..
-
来正寺 旧小松城・鰻(ウナギ)橋門小松城古絵図 寛永16年(1639年)前田利常の大改修以前は、現本丸部分のみだったと云われています。丹羽長重は現二の丸に河川の水を引き入れて沼地化したと云われています。前田利常は曲輪となる築島と三の丸..
-
金沢城 河北門 菱櫓延宝年間(1673~1681年)の金沢城図(下が北・上が南)寛永の大火後、本丸・東丸から拡張した二の丸にある二の丸御殿の表向が加賀藩の政庁になります。現在発掘・資料調査が行われ、次回の復元はここに決定..
-
10代前田重教(七男)~11代前田治脩(十男)石川門 表門・続櫓 宝暦9年(1759年)宝暦の大火によって石川門も焼失していました。再建は案内では天明8年(1788年)となっています。しかし、正確には明和2年(1765年)の石垣の修復が手掛けられ..
-
金沢城 石川門・石川櫓金沢城 石川門 表門(高麗門)・太鼓塀 石川門は金沢城の搦手門として江戸期は金沢城の第二の門でした。明治以降、そして金沢大学時代、そして現在は兼六園側からの入口として、誰にも金沢城の正門として認識され..
-
金沢城 鶴の丸 +三十間長屋鶴の丸跡 左の建物は平成29年(2017年)に新設された鶴の丸休憩館。以前にも簡易な休憩所があったのですが老朽化で建て直されました。東側が入口になりますが西側は全面ガラス張りで、橋爪門・続櫓から五十間..
-
金沢城 鶴丸倉庫東の丸北石垣(丑寅櫓下高石垣) 金沢城内で現存する最も古い技法・野面積による石垣になります。ちなみに野面積みは自然石その物や荒削りの石を組み上げたものです。右は東の丸附け段の石垣で上部に鶴丸倉庫があり..
-
金沢城 辰巳櫓跡・丑寅櫓跡本丸・東の丸北側の遊歩道の森東の丸跡 辰巳櫓台の木々 丑寅櫓と辰巳櫓の間には今は鬱蒼とした森になっています。上の遊歩道北面(本丸・東の丸)は自然林が多く城壁側は明治の植林と自然林が混在しているそうです..
-
金沢城 戌亥櫓跡金沢城本丸西端 戌亥櫓跡 左奥にあるのが戌亥櫓跡の土台石垣になります。本丸の森に入って最初の三叉路を左に行くと本丸の西側部広場にでます。江戸初期、寛永8年(1631年)の寛永の大火によって、城下町の殆..