記事「大学野球」 の 検索結果 599 件
-
東洋大学野球部の歴史-戦前⑦大正15年Ⅱ大正十五年国民新聞社の応援で始まった大学専門学校野球リーグ戦は十月十日から田園球場で行われている。当時の国民新聞には各試合とも詳細な記事で紹介されているが、ここでは東洋大の試合のみ記事も引用し、他の試..
-
東洋vs国学院 2006.9.2=動画Powered by FlipClip 2006年9月2日携帯の動画機能で撮影。永井投手(多分)の投球。
-
対東大戦 於:神宮球場=東洋大学野球部の歴史ーエピソード③今季から改装されて広くなる神宮球場。今度の日曜からプロ野球のオープン戦も行われるが、20日の中日戦の後は28日の開幕戦までスケジュールは空いてるようだ。昭和五十七年に人工芝に切り替えられた時、東都と六..
-
通算15完封&56回3分の2連続無失点:松沼雅之投手=東洋大学野球部の歴史-記録③松沼雅之投手には連続無失点56回2/3という記録があるが、もう一つ通算15完封という記録もある。こちらのほうは余り紹介されることが無いので無失点記録と併せて見て行くことにしたい。(得点の赤字は無失点記..
-
一試合12打点:内藤雅人選手=東洋大学野球部の歴史-記録②東都大学野球連盟の記録の中で、達成した時に“世界記録か”、と話題になったのが内藤雅人選手の一試合12打点の記録である。当時の読売新聞には「米大リーグ記録は、カージナルスのJ・ボトムリーが1924年に作..
-
東洋大学野球部の歴史-戦前⑥大正15年Ⅰ大正十五年四月の朝日新聞には次のような記事が見られる。 既成六大学野球リーグに対抗して起てる國學院、日本大學、専修大學、高師、東洋大學、大正大學の六チームより成れる新大學リーグ戰は左記の日程によ..
-
42試合連続登板:仁村徹投手=東洋大学野球部の歴史-記録①東都大学野球連盟のホームページや神宮球場ガイドブックの「過去の記録」欄を見ると、昨年の大場翔太投手のシーズン最多奪三振をはじめ東洋大の選手の名が記されているものがあるが、ここに記載されていない記録もい..
-
亜大キラー松沼家=東洋大学野球部の歴史ーエピソード②昨年秋までに通算33勝を挙げて卒業した大場翔太投手も、松沼雅之投手の39勝には及ばなかった。東都のリーグ記録は芝池(専大)の41勝なので、松沼雅之投手の記録は東洋大学の通算最多勝記録ということになる。..
-
東洋大学野球部の歴史-戦前⑤大正14年秋大正14年の秋には東都五大学聯盟戦の名称でリーグ戦が行われた記録が『時事年鑑』に載っている。 東都五大学聯盟戦―國學院、日本、専修、東洋、宗教五大學第一回戦は、十月四日より十一月六日迄下澁谷氷川..
-
大場をアシスト?していた桧山の一発=東洋大学野球部の歴史ーエピソード①今日のスポーツニュースを見ていたら、ホークスに入団した大場投手のキャンプ初の休日の模様が取り上げれていた。宮崎地鶏の炭火焼に挑戦?したとの由。味付けに失敗して塩味を効かせ過ぎてしまったようなのだが、本..
-
東洋大学野球部の歴史-人物②安田昌功さん先日、スポーツ紙で桑田投手の御子息が桜美林高進学、という記事を見た。桜美林と言えば少々年代が上の世代にとっては昭和五十一年夏の甲子園での初出場初優勝が思い浮かぶのではなかろうか。伏兵的な存在だった上に..
-
東洋大学野球部の歴史-戦前④大正14年春東洋大学野球部が創部した頃の活動はどのようなものであったのか。 大正十三年十月朝日新聞には専大や国学院等のの試合結果が見受けられる。これは都下専門校新リーグ戦の名で行われ、参加校は国学院・商科大(現..