記事「寺」 の 検索結果 3224 件
-
清源院と天満天神宮(富士市岩淵)【1/4】小休本陣常盤家から清源院まで。六地蔵・鐘楼・本堂。[第875回] 静岡県富士市岩淵 の 小休本陣 常盤家 の東側の道から北側には、富士山がきれいに見える。↓ ↑ の突き当りの所で道がクランク状になっている。「桝形」と言うべきか、この道が..
-
東大寺三月堂(法華堂)は思いのほか、でかい! 思いのほか「よく調和している」、三月堂は居心地がいい――二月堂・三月堂参拝・見学【1/ 】[第837回] 奈良市の東大寺の二月堂・三月堂などに参拝してきました。(念のため、お断りしておきますが、「緊急事態宣言」の期間外に訪問しています。) 今回は、三月堂(法華堂)です。 東大寺..
-
真宗本廟(東本願寺)参拝【4/4】大寝殿・菊門・玄関門。「修行できる人が救われるなら、修行できない人は救われないということになる」。景観に調和する外観が悪いわけではないが、交番は交番とすぐわかる意匠にすべきではないか。[第802回] 阿弥陀堂・御影堂の方を向いて右側に「参拝接待所」があり、その奥(西側)に「ギャラリー」があります。 「ギャラリー」の1階では、渉成園についての写真とその説明、地下1階では、親鸞..
-
真宗本廟(東本願寺)参拝【3/4】境内にて、阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂。「本願なければ親子も夫婦も他人」「産まれてきれくれてありがとう」「仏様の住まいに住ませていただいている」[第801回] 真宗本廟(東本願寺)の境内に入りますと、門はそれで終わりというものではない。「建築の見学は、『前から後ろから』『表から裏から』、なめるように、見るべし」というのが「建築探偵団 心..
-
真宗本廟(東本願寺)参拝【2/4】阿弥陀堂門・阿弥陀堂、御影堂門・御影堂、鐘楼、手水屋形。正門はどちらか・・。裏口入学する者は正規に入試に合格しようとする者を妨げる。[第800回] (真宗大谷派本山)真宗本廟〔東本願寺〕は、(浄土真宗本願寺派本山)本願寺〔西本願寺〕と同じく、東側から入って西側にお堂があって、人が西に向かって参拝するように配置されていますが、..
-
真宗本廟(東本願寺)参拝【1/4】京都駅から北に歩けば、真宗本廟(東本願寺)。京都駅から程よい距離。東本願寺の前の道はトラックの休憩所ではない。使用者はトラック運転手の休憩場所・待機場所をきっちりと確保せよ。[第799回] JR「京都」駅の北側にある、通称「東本願寺」、正式名称「真宗本廟」に参拝してきました。 住所は、京都市下京区烏丸通七条上ル で、京都の場合、上京区と下京区では北側にあるのが上京区..
-
真間山弘法寺・手児奈霊堂(市川市)と桜。薬漬けで私立医大裏口入学は反社会的勢力。種無ブドウを皮むいてもらって食う男は人間じゃない。「心理学」の欺瞞。[第768回] 桜の季節というと、3月末から4月頭・・ということで、千葉県で桜の名所と言われる寺社のひとつらしい、千葉県市川市 真間4丁目 の弘法寺に行ってきました。 弘法寺は、日蓮宗の「本山」..
-
高山城址 城山公園の光「耀」山照蓮寺。書院造風の本堂(重文)というが雪でよくわからん。太鼓堂はユニーク。[第746回]高山シリーズ6回(13) なんともややこしいことに、岐阜県高山市には「照蓮寺」という名前の寺が2つあって、両方とも真宗大谷派であり、山号も「光よう山」。しかも、「平成の大合併」で無..
-
高山別院の光曜山照蓮寺。農家の家の部材を利用して建築した庫裏。高山風を考慮した耐震補強。落雪注意と水道管の断熱材は寒冷地を思わせる。三流以下企業の経営者は普通ならわかるだめな原因を理解しない。他。[第745回]高山シリーズ6回(12) なんともややこしいことに、岐阜県高山市には、真宗大谷派の寺で「光曜山照蓮寺」という名前の寺が2つある。『楽楽 飛騨高山 白川郷 上高地』(2014.JTB..
-
『ゴルゴ13』と考える「信教の自由」。「信教の自由」を侵害する深奥山方広寺は宗教失格。「信教の自由」を侵害する営業は三流の営業。[第732回] 年始というと、初詣・・・なんて行く人が多いのではないかと思うのだが、しかし、自分の信仰する宗教と異なる宗教の施設に参拝していいのか・・という問題がある。慶應の学生ではそんなことち..
-
門戸厄神(もんどやくじん)(兵庫県西宮市)参拝。愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王。たとえ階段でも表門から。「子供帝国主義」を懲らしめる子守地蔵。[第717回] 鉄道の駅名になっているお寺・神社というのがいくつかある。駅名になっているからには相当の寺・神社であろう・・という気持ちになるが、そうである場合もあればそうでない場合もあるようだ。..
-
三十三間堂は木造の基本。梁と桁。身舎と庇。オバタリアンは不動産業にいい?ー妙法院・蓮華王院【6/6】[第655回] 三十三間堂の中央の千手観音坐像は≪作者は大仏師湛慶(たんけい)で小仏師康円と康清を率いてことにあたった。≫ ≪湛慶は運慶の長男で、鎌倉中期を代表する彫仏師であった。父運慶の作風..