記事「山口」 の 検索結果 4036 件
-
万葉集の場所 1万葉集230 高円山 玉桙之道は須佐町の高山に登る道だから、高円山は高山である。 万葉集3229の「五十串」(いくし)は須佐町の松崎八幡宮の神事である。 参照 平凡社の地名辞典 山口県巻 ..
-
周防国府跡『山口県の地名』(平凡社の地名辞典 山口県巻 1980年) P266下 周防国府跡 防府市国衙1-5丁目・多々良1-2丁目・警固町2丁目・勝間3丁目 惣社町付近 ・ ・ ・ ..
-
厚東(ことう)氏は物部氏『 図説 山口県の歴史 』 河出書房新社 「図説 日本の歴史 35」 1998年 P96 「厚東氏の出自」 厚 東 氏 は 物 部 氏 と載っている。 宇部市厚東棚井付近を本拠とす..
-
防府市の小字(一部)角川の地名辞典 山口県巻 巻末小字一覧 より 東佐波令 国衙 国庁 酒谷 酒垂山 朱雀 多々良 勝間 京慶 山田 御所内 人丸 柿ノ本 馬屋田 都浜 江川 鋳物師 鎌瀬 西佐波令 ..
-
笠沙佐味(天武紀)=沙弥(万葉集) 沙弥は笠朝臣麻呂で、万葉集821で笠沙弥 海神の里は防府市の岸津~沖今宿~江泊。ここの沖の洲が笠沙だ。 住吉神、阿曇連、綿津見神などの海人はここに居た。 海..
-
防府市 三田尻の 字「舸子(かこ)町」平凡社の地名辞典 山口県巻 P273下 防府市 三田尻村の小名として「舸子(かこ)町」(昔花ノ浦という)が載っている。 この場所は華浦(かほうら)だろうか。 舸子(かこ)は 応神紀13年9..
-
防府市は出雲天武紀の佐味朝臣は和名抄の作美(さみ)郷か。 この場所は萩市三見である。 佐味朝臣は天武下紀14年9月15日 の佐味朝臣少麻呂(宿那麻呂)で、少彦名命を想起させるので、萩市三見が出雲の御大の御﨑の..
-
邪馬台国は阿東町の徳佐・嘉年山口県風土誌 徳佐村 P147 御所河内 由来書云、此所往古古御所にて御坐候由申伝候。今以大江屋敷・モリヤ屋敷などと申所御坐候。 三ツカ峯 徳佐峯に次く高山なり。山頂三つに分れたるを以..
-
嘉年は黄泉の国か郷土史本 『物語の里 嘉年』 の P8 の荒神山について 嘉年八幡宮は当初、東居坂八幡原の荒神山にお祀りされていた。 荒神山からは砥石が出て、昔はよく掘られた。中には固い石があった。 と..
-
邪馬台国物語の里 嘉年(かね)『物語の里 嘉年』 より 萩→紫福→片俣→嘉年 の路 嘉年には往古銀山があった。毛木屋(けごや)に鉱道跡がある。 嘉年の地名由来は、 ① 銀山があった伝承による。 ② 嘉年の語..
-
北九州市若松区の江川⇒熊襲⇒西蕃⇒南蛮日本書紀の神功皇后の三韓征伐では、 穴門豊浦宮を出航した後、神功皇后は 若松の江川⇒熊襲⇒西蕃⇒南蛮 の順で征討をしている。 若松の江川を通って遠賀川の下流に出ているので、倭国(邪馬台国)..
-
漢委奴国王 4阿東町の嘉年(かね)の地名由来の一つに阿武川の源流だから「川根」が転じてカネになった説がある。 「根」という言葉は川の源流地・水源地をいう見方があるようだ。 漢委奴国王の「漢」の字は中国の漢水..