記事「往生」 の 検索結果 41 件
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外にいる鳥は両親?ほろほろと鳴く山鳥の声聞けば父かとぞ思う母かとぞ思う こう歌われておりますが、これは行基菩薩といわれる人の歌。行基という人の歌。これを親鸞聖人のお言葉で言えば一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟..
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宿善は人間に生まれる前だけの過去世の善?信心決定は宿善まかせといわれる宿善とは、宿は宿世のことで、過去世のことなので、過去世の善根ということ。 では、過去世とは、人間に生まれる前だけを言うのかというとそうではない。信心決定するまでの一切の..
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他力とは阿弥陀如来のお力については和讃に 無碍光如来の名号とかの光明智相とは無明長夜の闇を破し衆生の志願をみてたまう(高僧和讃曇鸞大師) 智相も光明とおなじ、阿弥陀仏のお力すなわち阿弥陀如来の本願力とは阿..
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阿弥陀仏を架空の仏と言って焼くのはどう?創価学会はなぜか、阿弥陀仏を架空の仏と言って焼く。 阿弥陀仏は、お釈迦さまが一切経に最も多く説かれている仏。もし阿弥陀仏が架空なら一切経がみな架空になる。建前上彼らが信じている法華経にも勿論説かれて..
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阿弥陀仏に救われても死にたくない?案悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず。恥ずべし傷むべし。(教行信証信巻) 真に知んぬと言うのは、今親鸞ハッキリ知らさ..
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往相廻向と還相廻向についての反省我が歳きわまりて安養浄土に還帰するというとも和歌の浦曲の片男波の寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり。我なくも法は尽きまじ和歌の..
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平生業成の本当の意味平生業成は、親鸞聖人の教えをあらわす言葉。おなじ意味をあらわす言葉を2つあげよといったら何でしょう。 不退失往生と現生不退。 これ一つがわからないから。同じ話を聞かなければならない。それでも本当に..
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弥陀の心光摂護してながく生死をへだてける金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける 私達が生まれてきて、生きているのも、この阿弥陀仏の一声を聞くため。たった一声聞いたのが、その一声が千人力。四の..
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悪人が救われる淤泥不染の徳淤泥不染の徳というのは、正しい信心の特徴をあらわす。 どろどろの泥田にしか蓮華は咲かない。これは、私達は悪人ということ。煩悩ということで、その煩悩ででき上がってる悪人しか咲かない、というのがドロドロ..
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一向専念無量寿仏と雑行雑修自力の心の関係仏教の結論は、一向専念無量寿仏ときかせていただきましたが、それは雑行雑修自力の心をふりすてるということと同じでしょうか。 同じです。蓮如上人の領解文にある。改悔文ともいう。 もろもろの雑行・雑修・..
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大無量寿経の蓮如上人の解説お釈迦さまは、大無量寿経の中に、易往而無人と仰有っています。 これは大変有名なお言葉です。これは、どう読むかと言いますと、「往き易くして人無し」と読みます。而とは、けれどもという意味です。 往きや..
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我が目にて月を眺むと思うなよ月の光で月を眺むる阿弥陀如来は信ずる心をどうやって与えられるかというと、そのために、「南無阿弥陀仏」の六字の名号をつくられたのです。これを法体成就の機法一体の南無阿弥陀仏といいます。 本願の通りにつくられた南無阿弥陀..