記事「慧日寺」 の 検索結果 15 件
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萬松山「慧日寺」 [兵庫県丹波市]今回は、「丹波もみじめぐり」と「丹波古刹十五ヶ寺霊場」の参拝で、慧日寺に訪れました。 茅葺き屋根が特徴的で、良い味を出してるんですよねえ。 それから、兵庫県では珍しい姫ホタルが見ること..
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オッサンのブラリ一人旅(丹波もみじめぐり 萬松山慧日寺)円通寺、岩瀧寺の翌日、は慧日寺と小新屋観音と回りました。土曜日と言う事もあり人込みを避けてのことです。 先ずは、慧日寺にやって来ました。中の横から参道が通っています。参道は針葉樹の並木道になって..
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2017年12月20日 遺跡・発掘ニュース2017年12月20日 遺跡・発掘ニュース 紫香楽宮最大級の建物跡、大仏関連施設か 滋賀・信楽で発見 : 京都新聞 東山遺跡(滋賀県甲賀市) http://www.kyoto-np.co.j..
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福島 慧日寺 ~巡礼の旅(53)~高僧・徳一が光に還り、白龍たちが解放され、大国主命の御子神・トキ皇子が会津磐梯山に鎮座した、慧日寺での解除と会津美里での天海上人との対話 3月19日(水)、私たちは仙台市から福島県会津若松市に移..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(最終回)◇歴史に見る古代の會津(最終回) 平安末期、會津の独立を守った慧日寺が1200年ぶりに再現することになった。会津若松市の隣町、磐梯町の国指定史跡「慧日寺跡」に、本堂にあたる金堂が平成2..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(399)◇歴史に見る古代の會津(49) 會津の領主慧日寺は、迫りくる平泉の勢力を排除して、會津の独立を保とうとして、城氏との同盟を策していたのであった。しかし、これは地形上、會津が遠い中奥や北..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(396)◇歴史に見る古代の會津(46) また、多賀国府や地元の郡衙などに対しても、名目的にはやはりその下にいる管理者もしくは請負人のような形をとったであろう。 これは、平泉藤原氏などの場合..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(395)◇歴史に見る古代の會津(45) そして、このような會津に君臨する僧侶支配を組織できる僧侶、及びその集団というようなものは、当時、慧日寺僧徒をおいて考えられないのである。 乗丹坊とい..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(393)◇歴史に見る古代の會津(43) こうしてみると、慧日寺にとって、その権威の証として貴重だったものが二つあったことになる。 一つは白銅三鈷杵であり、もう一つは古尺である。前者は寺の依..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(392)◇歴史に見る古代の會津(42) 慧日寺では、この古尺とともに、平城、嵯峨、淳和、白河四朝下賜と称する銅印も伝えていた。今は古尺ともども、すべて失われてしまったのであるが、その印影だけは..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(391)◇歴史に見る古代の會津(41) 標準度量衡を持つこと、それは支配者の政治的特権に属する。法隆寺や熊野神社は、古代以来の権威の象徴として、また荘園領主としての支配者の明証として、本来なら..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(390)◇歴史に見る古代の會津(40) こんなふうに四天を見、地蔵を拝するというふうにして、12体を見終わって、偉大な徳一の12変相であろうと思われる。 勝常寺彫刻の平安朝仏教文化への貢献..
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