記事「文化遺産」 の 検索結果 303 件
-
原田種夫文学碑明治34年3月16日、福岡市春吉4番丁(現中央区春吉)に生まれた原田種夫は、ほぼ昭和全期にわたり、『九州文学』の発展にその生涯を捧げた。 北原白秋に師事し、頭角を現すようになると、火野葦平、劉寒 ..
-
正木昌陽(不狭学舎)幕末維新の騒乱の時代でしたが、多くの人達が動乱の中に身を投じる中、彼は学問一筋に身を持し、尊王愛郷、神社崇拝の精神を世に広めることに尽くしました。 正木昌陽は、修猷館時代から不狭学舎(昌陽塾)を通じ..
-
金子堅太郎生誕地碑1853年2月4日(嘉永6年)~1942年5月16日(昭和17年) 正木昌陽塾に学ぶ。その後黒田長溥公の援助を受け1871年11月(明治4年)、アメリカ留学。 1876年10月(明治9年)、ハー..
-
正平廿一年銘梵字板碑板碑とは供養のために建てられた石塔婆の一種で、中世特有の石造物と言われています。 この板碑は玄武岩を用いて作られたもので、頭部は斜めに仕上げられていますが、下部は銘文の一部と共に欠損しています。 ..
-
亀井南冥生誕地亀井南冥(1743年~1814年)は、儒教の徂徠学(そらいがく)を学び、天明4年(1743年)福岡藩校の東学問所『修猷館』(朱子学)とともに開設された西学問所『甘棠館』の学長になりました。 この年、..
-
平野國臣・生誕地幕末の動乱の中 、短い生の中に激しい情熱を持って生きた、福岡の勤皇の志士 。 西郷隆盛らとも親交があり、回天に多大な影響を与えた。 1828年(文政11年) - 1864年8月21日(元治元年7月..
-
旦過だるま堂旦過寮とは、旅の僧を宿泊させ、もてなすところだそうです。 ここには、中国の禅僧の開祖である“だるま(達磨大師)”が祀ってあり、江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に作られた大きな銅つくりの厨子..
-
おにぎり地蔵1732年(享保17年)西日本一帯はイナゴの著しい発生から、田畑の損亡甚だしく、西国筋より畿内大阪まで道路に餓死する者数えがたし、という未曾有の凶作、飢饉にみまわれました。 当地は特に被害をうけ飢饉..
-
元寇鹿原戦跡(祖原山)この地鹿原山(祖原山)は、初度の元寇文永11年10月20日に早良川から百道にかけて上陸した敵の有力な一部隊の本陣となった。 敵は軍旗をなびかし太鼓や銅鑼を鳴らして気勢をあげ、目前に展開する鳥飼・赤坂..
-
鏡田屋敷当初郡役所の官舎として建てられたといわれ、明治後期に郵便局長を務めた佐藤氏が居住し、その後、昭和初期に籠田氏が居住されました。 平成3年の台風被害がひどく、取り壊されることになっていましたが、旧吉井..
-
探題塚鎌倉幕府が元軍の来襲に備えて探題を置いた所。 鷲尾城(今の愛宕山)や防塁を築造したり点検報告を各守護にさせています。 初代探題を北条時定と言い、弘安5年(1282年)以降姪浜浦山館でその任に当たり..
-
菊池神社(首塚)菊池神社(首塚) 1333年肥後の菊池武時(寂阿)は護良親王の令旨を受け、少弐・大友と謀り、博多の鎮西探題を攻めたが、両家の離反にあって敗退。 落ち延びる途中息が耐え、この場所で首を打たれて埋葬さ..